Kさん
Facebookの【認知症】の投稿に、仲間のKさんからコメントをいただいて、そのやり取りがなんかいかったんで、ここでご紹介します。
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Kさん〜
「知らないことをわたしは知っている。」これは無知の知。
「知らないことの方が知っていることを超えていくことを知っている。」これは、知を超越した無知の知といえますか?
私〜
これはね、宇宙で言うところのビックバーンですね。無限です^ ^果てしない知の拡がり。単純にそれを知っていると言うだけでは、人間の自惚れ。物理学の世界では観測問題という問題があるようです。目に見えない、これ以上わからないという世界ですね^ ^
あのアインシュタインもGE(ゴットエナジー)と言ったそうです。
僕は、物事を知ろうとするためには、もっと広く、大きく、あらゆる角度や方面からみてゆくことが大切だと感じています。
Kさん〜
実は専門性について話を伝える機会がありまして…。人への「支援」このことばも一方的のような気がして、サポーターよりはパートナー、でもなんかしっくりこないんです。
私〜
ごめんなさいね。タイムラグで、トンチンカンなことを書いてしまった。
(その後、気を取り直して)
そうですか。支援という言葉の意味を分解すると、僕の理解で言うと、支援とは、相手の有する能力を見極め、支えるところを見極めて、相対する人が自ら出来るように援助する、又は、必要な時に、必要な分だけ、必要な支えを繰り出すことだと思います。ただ、この「必要な」を見極める情報をどれだけ集め、その情報を分析して、形を予測して、姿を描けるかが要になるのだけれど、そこをどう伝えるかが至難の技ですね。
支援でわかりやすいのは、震災時の支援も例え話ではわかりやすいですよ。必要な時に必要な物資や人がなく、すでに満たされて自立しているにもかかわらず、沢山の物資や人がくる。この見極めができて、届けることができて、さらに自ら生きようとする姿に繋がることが専門性ある人への支援ではと考えています。
このような話を車座になって語り合いたいですね。そんな場があると面白いのになぁ〜。
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と、そんなやり取りをして、締めくくり終えました。
Kさんとのやり取りは、これが初めてではありませんが、なんかいい感じなんですよね。
基本的に僕は、なんちゃって人間ですから、僕自身が、上辺だけではなくて、さらに深掘りすることができるいい機会なんです。活字ではかなり厳しい内容でも、なんとか表現を考えて発信することが大事であるという経験もできる。
いいことです^ ^
ありがとう! Kさん^ ^
また、よろしくお願いします^ ^🙏
Naoto
※写真は、自宅で採れたイチゴちゃんです^ ^🍓