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【アウルの全ての皆さんへ】

2018年10月07日 | 未分類

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アウルの全ての皆さんへ

おはようございます。

今日は、先日行われました、北海道高齢者虐待防止推進研修会でお伝えしました大切なことをまとめましたので、全スタッフの皆さんへお知らせ下さい。


【北海道高齢者虐待防止推進研修会を終えての感想とお願い】

この研修会に参加されたスタッフの方も数名いらっしゃると思いますが、私が講義を担当した第2分科会の大切なことをお伝えしたいと思います。

すでに、アウルのホームページのギャラリー&ブロブにも投稿しましたが、この分科会では、虐待だとか不適切なケアを未然に防ぐためにどうするか、ということを参加された皆さんで共に考えるのですが、やはり最終的には、ケアよりCARE、CAREができてケアに繋がると言う考えに、僕は至ります。

CAREができてと言うか、CAREのベースを一人ひとりとチームとの共有で創り上げて、ケアに繋げてゆくと表現した方がいいでしょうか。

ここを徹底的にやるっきゃないかなと思います。

そもそもな話ですが、私が使っている「CARE」と「ケア」の言葉の違いをお伝えします。

ケアは日本語
CAREは英語

たぶんこの国で使っている「ケア」は、英語の「CARE」からきていると、僕は認識しています。

そう考えるとですよ

CAREの日本語訳を調べると

CAREとは➡︎気にかかること,心配,気がかり,不安,心配事,心配の種,気にかけること,(細心の)注意,配慮,気配り

となるんです

ケアの訳を辞書で調べると
ケアとは➡︎介護・世話をすること

となるんです

??????????

?を連続10回も使ったのは初めてです(笑)

この違いはなんだろうと疑問➡︎自問➡︎自答の繰り返し

本来のケアの起源を考えると、気にかけることから始まるわけで、いきなり介護じゃないわけですね。

「気にかける」と言う、いかにも日本的な意味合いから、我々日本人の所作に繋がる原点とも考えられる訳です。

ですから

『常に良質なケアは繊細なCAREから生まれる』

『思考と考え、言葉と言う、行動と行い、このバランスと繋がりの信頼関係の構築に気にかける、又は気を配る事によって、結果的に虐待が防止される』

と言う考え方(哲学)を持つに至って、その考えを伝えてきたわけです。

そこで、僕が考えた「虐待を無意識的に無くす方程式」を紹介します。

『良質なCARE=良質な所作=良質な信頼と関係=良質なケア=お互いの心地良さ』

僕たちの仕事は、この「良質なCAREとは何か」を考える時を重ね、貯めて、所作に置き換えてゆくことだと思うんです。

身体拘束や虐待の研修を受けて、虐待にあたるか否か、身体拘束にあたるか否かを話し合ってもまったく意味がないとは言いませんが、正直な気持ち、意味がないと僕は思います。

それよりもですね、一人ひとりのことを、あ~でもない、こ~でもないと、関係する皆さんでたくさん語り合うことでしょうね。座学の研修を受けることも大事ですが、それ以上にカンファレンスとか、関わっている人一人ひとりのCAREをアウトプットする機会や場を多く持って、たくさんの人々の意見を共有した方がいいと思いますし、もし可能であれば、ご本人や家族も一緒に出来るとなおいいでしょうね。

これが、僕のCAREとケアの哲学です。

しかも、それは良質なチームで行われることです。

そこから良質なCAREとケアのスパイラルを築いてゆくことだと思います。

どうか皆さんお一人お一人のお知恵を集めて、良質なCAREの蓄積から、良質なケアへ繋げていただけると幸いです。

どうぞよろしくお願い致します。

2018.10.8
宮崎直人

なお、このメールに対しての返信は不要ですので、よろしくお願い致します。

宮崎直人

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