自分の機嫌ぐらい自分でとれよ
若い頃は嫉妬心が強く、嫉妬の達人だった(笑)
自分は人よりも優れていると信じ、真っ直ぐに、我武者羅に、自己主張を繰り返し、エゴの限りをやり尽くしてきたと思う。
自分の意見が認められないと、感情が表に出てきて、自分では抑えきれないほどの感情が身体中に満ち溢れ、心臓が高鳴り、顔が赤く火照りだし、まるで、ふてくされ、手が付けられない餓鬼である。
今も、その片鱗は垣間見られるが、若い時ほどではなく、随分と修正が効くようになり、歳を重ねるごとに、それが減ってきているように感じている。
僕の尊敬するひとりでもある、津端夫妻(映画 「人生フルーツ」の主人公のご夫婦)は、ご自分達のこれまでの暮らしを「コツコツと、時をためてゆく暮らし」と素敵な表現をされ、僕たちに、歳を重ねることで人間は老いるのではなく、成長するということを示唆してくれたと、僕は思っている。
命を全うするその瞬間まで、人間は成長する、そう信じられる。
成長とは何か?
「育って成熟すること」
基本、自分を育めるのは自分でしかないと思っているので、その他のことは、自分を育むための道具であったり、機会であったりに過ぎないと考えている。
さらに自分をどう育みどうなるかは、人それぞれに違うし、この世界で起こっている、あらゆる経験を通して学ぶのでしょう。
そう考えると、僕が経験した嫉妬は、自分を成長させるための機会だったということになる。
あらゆる経験を機会と意識して、一所懸命に育もうとする人も、そうでない人であっても、人はそれなりに成長する。
人間の本質は、意識、無意識に関係がなく、それぞれの世界で、必然的に成長すると、遺伝子や細胞レベルでは、すでにその仕組みが仕込まれているようにも感じる。
人間は皆応分にその機会と経験を与えられているのだと思う。
だから
「自分の機嫌ぐらい自分でとれよ」なのだ。
Naoto