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『自分が変わる時』

2017年03月01日 | 未分類

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ダメな自分、できない自分、厄介な自分、面倒くさい自分、ウザい自分、嫌な自分、計算高い自分、嫉妬深い自分、最低な自分、最悪な自分

そんな自分を知った そんな自分を感じた
そんな自分を とことん味わってみた
そんな自分を味わったら
そんな自分でもいいと そんな自分を認めてみた
やっとそんな自分でもいいと そんな自分を受け入れられたら

次は

素敵な自分、かっこいい自分、凄い自分、最高な自分、楽しい自分、愉快な自分、できる自分

そんな自分を知りたくなった そんな自分を感じたくなった
そんな自分を認めたくなった そんな自分を受け入れてみよう
そう思った

ほんとは そもそも
ぜ〜んぶひっくるめて 自分なんだと
両方 ぜ〜んぶ『僕』だと

その時
自分が変わった

nao

18:25 | 記事 nao [コメント:0]

『子供たちへ』

2017年02月23日 | 未分類

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友とコンタクトを取り続ける^ ^

nao

07:04 | 記事 nao [コメント:0]

『coming-out』

2017年02月09日 | 未分類

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『coming-out』

あの〜^ ^

実は〜^ ^

いま〜^ ^

心理カウンセリングの勉強をしています(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎

言っちゃった^ ^

実は座学の研修など伝達研修では

僕はもう限界を感じています

確かにそれで変わる人もいます

そして

そういう人は

そもそも自分を変えようとすると前提を持っています

そしてそこで住まう人たちの姿が変わります

最終的な目的はそこにあるのです

しかし

僕は今までずっと伝えて来ましたが

一時的のその人は変わるのですが

職場に戻るとまた元に戻ってしまうのです

そんな変わらない現実を目の当たりにする経験を

ずっとしてきました

いま

あちこちで不適切な支援や虐待が起きています

僕の現場でも起きていたんです

やはり

直接、認知機能が低下してゆく状態にある方々と

日常を共にしている専門性を持つ人たちの前提を変えていかなければ

何も変わらない

僕らの世界だけの専門性だけではダメだ

関わる側のもっと奥深いところに働きかけないと

本質的に変わることはできないと

そう思ったのです

どこまでできるかわかりませんが

直接関わる人たちの前提を

カウンセリングを通して

共に考えられる事業所環境を創っていけたらと考えたからです^ ^

結局人と人とが響き合う世界ですから

そこに70〜100程ある原因疾患と

日常をどう過ごしてゆくかが

僕たちの仕事なので

それりゃストレスはたまるでしょう

そんな環境の中で

知識や技術を詰め込んだとしても

ましてや人の心の情に訴えたとしても

なかなか変わらない世界なのです

それは経験した人じゃないとわからないでしょう

幸か不幸か

僕は経験しているので

そこを

今悩んでいる人

困っている人

虐待しそうで自分が怖い人

そんな人たちの話を聞く場所があるといいなと

思ったからです^ ^

誰かに聞いてもらうだけでも違う

そう思うのです^ ^

少しパワーアップ?

バージョンアップ?した

なおさんをお待ち下さいませ^ ^

nao

10:54 | 記事 nao [コメント:1]

『外部の記憶』

2017年01月11日 | 未分類

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僕の家の真ん中に

太い丸太の柱がある

家を建てる時に

家族5人全員で

丸太の皮を削り

一人ひとりの名前と年齢を書き込んだ

その当時の僕の年齢は36歳

同い年の奥さんと一緒に建てた家だ

毎日この柱を見ては心の中で懐かしむ

これもひとつの僕の外部に在る記憶になる

多分人間にはそんな記憶がたくさんある

誰かに会うと蘇る様々な記憶や感情

さらにその出来事や感触まで蘇る時がある

何らかの原因で

認知機能が低下していこうとも

感情の感触は

何だかそこに在るような気がする

そんな事を大事にする専門職が増えるといい

僕は学者じゃないので

感覚的にしか物事を捉えられないが

それはそれで僕のいいところだ

よしよし

nao

08:07 | 記事 nao [コメント:0]

『演出家』

2017年01月10日 | 未分類

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大切なものを失った時って

なんかおかしい

自分の思考が

「おかしい」を俯瞰して演出する

自分の演出力に驚く

そうなるように

そうなるように

導く

nao

13:52 | 記事 nao [コメント:0]

『感性』

2017年01月08日 | 未分類

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それはね

それぞれの響く感性が違うからさ

だから

正しいも間違いもなくて

そもそも

問題なんて存在しないんだよ

ほんとはね

nao

10:42 | 記事 nao [コメント:0]

『認知症の人』

2017年01月07日 | 未分類

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だから「認知症高齢者」とか「認知症の人」なんて表現で一括りしちゃダメなの

自分の中にある言葉の選び方を考えようよ

本当のそれでいいの?

「当事者」とか「本人」とかも変

自分で自分を「認知症の人」って言ってるうちは

なんも変わらないかもね

少なくとも僕はやめたよ

nao

11:47 | 記事 nao [コメント:0]

『平等⁉︎』

2017年01月07日 | 未分類

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器の大小などあるのだろうか

もしあるとすれば

自分の身に起こる出来事の応じ方で決まるのか

しかし

その応じ方の評価ですら

誰かや何かの物差し

では

その物差しはいったい誰が創造したものなのか

結局のところ

確かなことは

どんな物差しだろうが

誰にも過去は変えられない

そのことにおいては

人の死と同様に

人は皆平等である

nao

10:29 | 記事 nao [コメント:0]

『ちゃんとということ』

2017年01月04日 | 未分類

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いままでちゃんとすることをちゃんとしようとして疲れてきた僕にとって

ちゃんとしないことを目指してしまい

ちゃんとしないことをちゃんとしようとしてしまいさらに疲れてしまっている僕がいる

ちゃんとすることも難しい

ちゃんとしないことはもっと難しい

僕の今年のテーマになるかな?

nao

08:48 | 記事 nao [コメント:0]

『新年の信念』

2017年01月02日 | 未分類

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その当時の僕は
自分の思うようになる人
若しくはおとなしい何も問題のない人を軽度と言い
自分の思うようにならない人
若しくは問題のある人を重度と言っていました
そして自分の想い通りになる人
自分の言うことを聞いてくれる人
静かに一日黙って座ってくれている人
自分がやってもらいたい役割を気持よくやってくれる人
そもそも帰るなどと言わない人等々
つまり自分が安心してみれるかみれないかの違いで
問題があるかないかを決めていました

グループホームって
振り返ると
これまでの経験の意識変革と世間からの偏見とスティグマからの解放の象徴だったと僕は思います
ある意味
革命といってもいい
彼らの多くは
その環境や偏見との狭間で足掻きもがいて
その不適切な環境と偏見と関わりと戦っていました
もちろん
かかわり手である僕たちも同じでした
そのことに
気づき始めた人たちは
生活環境や支援の仕組みや在り方を見直し
生活をベースに認知機能の低下を支えていく仕組みを考えました
それがグループホームの始まりでした
彼らが過ごしやすい環境(住まい)をベースに関わり方を創っていきました

しかし
最近のグループホームの現状は
グループホームができる前の
過去の経験と様々な偏見やスティグマのある時代へと逆行しているような気もしています
もしかしたら
そもそも未だそこから抜け出してなかったんじゃないのか?と思うくらいです
僕たちがいろんな言い訳を作っては
生活の支援を諦めているような気がします
冷静に彼らに起こっていることを観ると
彼らに起こっている認知機能が低下してゆく線(糸)と
さらに生きていることで起こりうる様々な要因という点との狭間で
線(糸)が切れたり絡みあったりして
自分では繋げられないほどの切れ方だったり
自分では解せないほどのダマになったりと
もはや自分の力では・・・
そこに今まで通りにいかない歯痒さと苛立ちという感情の点が加わり
さらに複雑になる

僕たちの仕事は
その複雑に絡み合ったり切れてしまった線(糸)を
日常の生活の中で
少しづつ一緒にほぐし解いたり紡いでいくこと
僕たちには沢山の「生きてゆく」という線(糸)があって
その線(糸)は
複雑に交差し合い
うまく繋がっている
時に僕たちにも
線と線とが絡んでしまうことがある
自分一人ではどうしようもなくなった時
誰かがそばにいて
その線を解く手伝いをしてくれたり
自分で解けるように導いてくれたり
それだけで僕は嬉しいし
ホッとするし
直接解いてくれるわけではないけど
そばにいて励ましてくれるだけでも
有難いと思います
そんな関係が築けたらいいなぁと思います

グループホームは
それができる場所であり
グループホームの利点を最大限に発揮できれば
こんな素晴らしい場所(住まい)はありません
そんな場であることを
病気で一人ではなかなかうまく繋げられなくなっている「生きる」という点の連続を「生きてゆく」という線(糸)に共に繋げてゆくために生まれてきた仕組みとして

僕はこの仕事に誇りを持って挑んでいきます

nao

11:46 | 記事 nao [コメント:0]