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【群生の美しさ】

2019年10月19日 | 未分類

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群れをなす美しさがある
そのための個の美しさがある
素直に綺麗だなぁ〜と思わせる存在って
純粋にいいなぁ〜と思います

今日は余市町でお話をさせていただきます
今年は町村からの依頼が多い気がします

余市町でのお話は2度目です
初めに余市町に行った時は
「マッサン」の放映が終わった頃でしたので
講演会場(余市町商工会議所?)の控室に「竹鶴政孝さん」の実際の写真を発見し感動しながら、用意していただいたお弁当を食べたのを思い出します

マッサンが書いた『ウイスキーと私』
こんな本が書けるほど没頭出来るって素敵ですね^ ^

ということで
今日も生きています^ ^

おはようございます☀

Nao

11:55 | 記事 nao [コメント:0]

【霜】

2019年10月18日 | 未分類

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霜(しも、英: frost)は、0℃以下に冷えた物体の表面に、空気中の水蒸気が昇華(固体化)し、氷の結晶として堆積したものである。

とあった

目に見えないものが
なんらかの自然現象に影響された姿のひとつとして現れるんだろう

ぼくたちも同じように
見えないものに影響を受けているんだろうな

時に攻撃したりされたり
時に非難したりされたり
時に中傷したりされたり
時に誹謗したりされたり
時に嫉妬したりされたり
時に無視したりされたり

しかし

時に喜んだり喜ばれたり
時にほめたりほめられたり
時に支えたり支えられたり
時に助けたり助けたれたり
時に慰めたり慰められたり
時に愛したり愛されたり

人間にも色んな霜が降りるね
時には霜そのものになったり
自分を守るためなのか
自然が守ってくれているのか
よくわからないけど

どちらにせよ
ぼくたちは何かに守られているような気がする

例え死が訪れたとしても

ということで
今日も生きています^ ^

おはようございます☀

Nao

11:12 | 記事 nao [コメント:0]

【道北3町ツアー】

2019年09月04日 | 未分類

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昨日から道北3町(豊富町・幌延町・天塩町)の
町民向けと専門職向けの講演会と研修会のツアーをしています^ ^

昨夜は豊富町の専門職向けの研修会でした
今日は午後2時から豊富町の町民向け
午後6時30分から幌延町の町民向け

これもぼくのお仕事というか天命であり天職ですね
ありがたいことです

このような活動が出来るのもスタッフ一同のお陰です
本当にありがとうございます

明日は、天塩町で町民向けと専門職向けの2つ
最後までぼくに出来ることをやりきって参ります

どうぞよろしくお願い致します

Nao

17:58 | 記事 nao [コメント:0]

【初心に還る】

2019年08月29日 | 未分類

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【初心に還る】

街角の一角に
情報センターがあるのですが

手作り感満載の茶話会風講話会
なんかいいいい
なんか新鮮
なんか初心と原点に返った感じがする

こじんまりとして
日々の生活を
ここ(石岡)で過ごしている方々

なんか大勢の人たちと専門職に慣れ過ぎた僕にとっては
ゲンコツで頭を殴られた感じです

初心にかえって
喋ります^ ^🤚

Nao

10:44 | 記事 nao [コメント:0]

【アウルへの想い】

2019年08月24日 | 未分類

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僕は
自分も
事業所も
スタッフも
僕と関わる人
み〜んな信じています
それは昔から何も変わっていません

どんな人も
どんなことも
どんな状態でも
“良かったね”と言えます

アウルを創って
アウルがあったから
今の僕があるからです

例えば
虫歯になって
初めて歯の有り難みがわかるように

例えば
下駄の鼻緒が出がけに切れたとしよう,どう思う?
多分、ついてねぇ〜なって思う人が大半じゃないかなって思う

普通は,物理的に言うと,そろそろ切れる時期だっただけの話だよね

でもだよ,出がけに切れて良かった,出かけてから切れてたらって考えたらって考えたらどう?

だから“良かったね”なの
そう捉えると,全然運が違ってくるのね

自分の目の前に起きる出来事は
全て何かを気づかせてくれる
神様からのプレゼントと思えるといいね

何かへの不振を感じ
自分はダメだと
自分を責めるのはよそうよ

もっと
もっとと
無いものを求めるよりも
今自分の中に在るものを信じようよ

君が考えるよりも
はるかに世の中は優しいよ

僕はそう生きることにしたから
なにが起きても大丈夫だよ

アウルは
お爺さんやお婆さんが変わろうが
スタッフが入れ替わろうが
最初から
そういうところです

何度でも言います
僕はアウルを信じています

Nao

09:45 | 記事 nao [コメント:0]

【事故】

2019年08月08日 | 未分類

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久しぶりに親友和田行男ブログを観ていたら、「事故」について彼なりの表現で本質をついていたので、ご紹介します。
僕もまったく同感なので、今の介護保険という仕組みの中での矛盾というか、やり場のない矛先をどう向けるかの一つの方法ではないかと考えます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

介護施設における利用者の事故には大きく分けて「二種」ある。
 ひとつは、介護計画に基づくなど、とるべき手立てをとることになっていたにもかかわらず怠って起こしてしまった事故ならびに、計画化や予測はできていなかったものの「防ぎようのあった事故(以下、防げる事故)」であり、もうひとつはどうやっても「防げないといえる事故(以下、防げない事故)」である。
 防げる事故は、例えば介護技術の未熟によって移乗の際に気をつけるべきところに気をつけずケガをさせてしまった事故や、利用者に付き添うことになっていたにもかかわらず傍を離れて転倒させてしまった事故などがあり、これは「介護事故」といわれても致し方ない。
 防げない事故は、例えば利用者一人ひとりに24時間体制で一人の職員が付き添っていない現状の中で起こる事故であり、典型として夜間帯における不測の行動による居室内の転倒事故がある。
 これは介護事業における「構造事故」とでもいうべきもので、事業所や職員に責を問われても如何ともしがたい事故である。
 事故を分析すると、大きくは「防げた事故」と「防げなかった事故」の二種になるが、利用者家族から見れば「事故を起こされた」ということに違いはなく、「介護事業者として事故の責任は負うべきでしょ」となりかねない。
 事業者としてこうしたことを想定し、利用前に説明し同意を得ていたとしても、いざ事故が起こると「利用中の事故なのだから、何んとかしてよ」となってしまいがちだ。
 そうなると事業者としては、いかなる事故をも防ごうとするため、結果的に利用者の行動を制限する手立てなど「防衛」に走ってしまいかねない。
 利用者が自分でできるようにという支援策はリスクが高すぎるから取り組もうとしなくなるだろうし、利用者が椅子から立ち上がろうとすると「危ないですから座っていてください」となるだろうし、そもそも立ち上がれないように工夫を凝らすことだって起こりかねない。
 行動を応援するはずのセンサーマットも行動制限のリスク管理マットにしてしまうだろうし、度を越せば合法的に薬物によって動けなくしてしまうことだって起こりかねない。
 安全優先の御旗のもと「行動の制限」が、人権を飛び越したおかしな人権意識のもとで起こってしまう。しかも、行動制限よりも事故のほうが行政指導等で取りざたされれば尚更だ。
 ではどうすればよいか。
 これはひたすら利用者側と話し込むしかないのではないか。利用前から利用後のあらゆる機会を通して「防げない事故が起こる」ことについて説明することしか、僕ら事業者にとってやりようがないように思っている。
 先日も「防げない事故」に対して説明をしたが利用者家族には疑問が残り、職員さんから「どうしたらよいでしょうか」と相談を受けたので、それは「より説明するしかない」と言うしかなく、相談してきた側も「それしかない」ことはわかっていて相談してきているので、気を取り直して重ねて説明したそうだ。
 結果的には「理解を得られた」と報告を受けたが、モノの言い方・伝え方も含めて見直しながら、誠心誠意実情を説明するしか手がないだろう。
 あと僕ら専門職としてしなければならない大事なことは「防げない事故と言いきれるかどうか」の事故分析である。
 利用者Aさんは移動能力なく全介助。
 利用者Bさんは立ち上がり不安定。見守りや少し支えが必要。
 この二つの介護計画に対して職員は一人。
 Aさんのトイレ介助中にBさんが居室にて転倒・骨折。
 事故報告を受けた者は、「Aさんの介助中にBさんが行動しようとすることは当然予測できていたが、いくら予測してもAさんの介助中は手の打ちようがなかった」と言われれば、「しょうがないわな」となってしまいがちな事故である。
 その昔なら、Bさんをベッドに縛り付けて動けなくしてしまうとか、ベッドを壁と柵で囲んで行動できないようにするといったように、事業者都合の乱暴な策を講じたであろうが、今は別の面で咎められ万事休すだ。どう考えても「防げない・防ぎようがない」ように見える。
 僕もそのとおりだと思うが、もう少し丁寧に分析すると、まだやれることがあったのではないかと思った。
 それは、Bさんの立ち上がろうとする確率を下げる手立てだ。
 つまり、Aさんの全介助に入る前にBさんのもとに行き、まずはBさんが立ち上がろうとする理由をことごとく消してからAさんの全介助に入るということだ。
 居室内の事故だって手の打ちようがないように思いがちだが、本人の行動特性を把握して、ベッドの位置や箪笥の位置を変えることで見栄えは悪くなったが転倒事故がなくなった経験もある。
 一見「防ぎようのない事故=構造事故」でスルーしてしまいがちな事故も、「完全には防げなくとも確率は下げられる」ところまで追求してこそ「防げない事故」と言えるのではないかと僕は思っている。
 いずれの事故も、事故は誰も望んではいないし、事故はどんな原因による事故であれ「ゼロ」が良いに決まっているが、その向こう側で事故を恐れるばかりに、自力で歩ける人が歩けなくなったとき「これで転倒がなくなった」とホッとする介護現場になってやしないか危惧している仲間は、全国各地にたくさんいるのではないか。
 国民の社会的到達点である「施策による構造的な事故は致し方ない」と国民に言ってくれる国のリーダーが出てこない中で、介護現場のスタッフだけがもがいているのは、何んとも歯がゆくてしょうがない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

当事業所でも事故は起きます。
先日もホームからふらっと出ていかれたのに気がつかず
事故報告したケースでした。
行政からは、人員配置はきちんとされていたのか?
当日の勤務表と職員の出勤時間がわかるものの提出を求められました。法令遵守はあたりまでしょ!そこを疑われた正直ショックというか残念でなりませんでした。
たかが3対1の配置要件で彼らの自由をどう守れと言うのだろうか?監視したり、鍵をかければいいのだろうか?鍵をかけたらかけたで、虐待だの身体拘束だのと人権を主張。二進も三進もどうにもブルドック状態ですやん!
それでも文句ひとつ言わずに頑張っている職員。
本当にありがとうございます。
もし、また何か行政からありましたら、僕が縦になりますから大丈夫です!これまで通り、お爺さんお婆さんの支援を頼みます。

Nao

14:42 | 記事 nao [コメント:0]

【考える葦】

2019年08月03日 | 未分類

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よくよく考えていたら
結局は
自分の感性を信じるしかないことに行き着く

考(かんが)える葦(あし) とは
うまく表現したものだ

「 人間は,自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない.しかしそれは考える葦である.」(パスカル)

人間の自然の中における
存在としてのか弱さと
思考する存在としての偉大さ

あとは
これをどう生かすかしかない

思考はすべてのはじまりでもある

思考よりも行動という考え方もあるが
しかしそれすらも積年の思考の現れに過ぎない

「人は自分を偽る」
僕はそれに異は唱えないが
『おそれるな,自分に正直であれ』

それすらも肯定する

さて,生きるか^ ^

Nao

07:13 | 記事 nao [コメント:0]

【存在と信頼】

2019年07月28日 | 未分類

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おはようございます🌞

見ない・話しかけないは
「あなたは存在していない」と
伝えているのと同じです

もしそうなら
一人でも多くの方に

見て・話しかけ
「あなたは存在している」というメッセージを送りましょう

それが
信頼関係の第一歩です^ ^🤚

Nao

06:38 | 記事 nao [コメント:0]

【仕事】

2019年07月24日 | 未分類

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仕事に
大きいも小さいもない
優れているも劣っているもない
あたりもはずれもない
上も下もない
右も左もない
暖かいも冷たいもない

そこに「ある」をつけるのは
いつも人間
それもあり

いづれにせよ
常に懸命であれ

この子のように

Nao

08:09 | 記事 nao [コメント:0]

【老い】

2019年07月22日 | 未分類

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写真びっくりされたでしょ^ ^
私の30年後の顔写真だそうです^ ^

息子にアプリで撮ってもらいました(笑)
でもなかなかいい味出していると思うのですがどうでしょうか?

人は誰でも老います
みな平等に老います
どう老いるか?

僕は早くおじいちゃんになりたいと願っていましたし、これからもそうです
というかもうおじいちゃんですが(笑)
孫ができたという意味でですけどね(笑)

もうその頃は
好きな車も運転できないでしょうし
色んなことができなくなっていると思います
でも心の中はやりたいなぁという気持ちも少し残っていると思います

30年後
僕は何をしているのでしょうね
ボ〜ッと外を眺めては
何かを思い出しては
怒って
何かを思い出しては
泣いて
何かを思い出しては
悲しんで
何かを思い出しては
ニコニコしているのでしょう

もしかしたら
何かを思い出すことしかできないのかもしれません

自分だったらと思いをはせること
そう考えると
何かを変えられるかもしれないと
そう感じる今日この頃です^ ^

では🤚

Nao

07:31 | 記事 nao [コメント:0]