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『嬉しいこと』

2018年03月29日 | 未分類

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先日、嬉しいことがあった

昔、同じ業界(グループホーム)で仕事をしていた知り合いの方に、なんと!札幌のコストコでばったり出会った

今はまったく畑違いの仕事をしているという。
そんな話を少し照れ臭そうに語る彼を見ていると嬉しかった

本人曰く、また今度、介護の業界に戻ろうと思えたら戻ろうと思ってるんですと、僕に配慮したような話をされた

彼が仕事を辞めたことは、風の便りで聞いていたが、正直なところ、やめたほうがいいと思わず告げていた

介護の業界の善し悪しとかではなく、畑違いの仕事に自分の生き甲斐と情熱を持って挑んでいられるのなら、そこが探し求めていた居場所かもしれないと、彼の話し方で感じたからだ

やりたいことと出来ることは違う
世の中は基本「たまたま」の連続
苦しい想いや人に陰口を叩かれながら生きるのならば、自分の感性に響く仕事をした方がいいに決まっている

そう思うと涙が止まらなくなった

逢えて本当に良かった^ ^
有難う^ ^

13:26 | 記事 nao [コメント:2]

『徘徊』

2018年03月27日 | 未分類

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未来に「大丈夫」が来ると知っているが、今の不安は消えることはない。不安は不安として受け入れるしかないと自分に言い聞かせる。それは、その不安をとことん味わうと言うよりも、その不安を認め終わりにするということで、次に進めるような気にすることである。つまり、そこにいつまでも、留まっていてはいけないということである。

「徘徊」の言葉がとりだたされているようだが、僕がグループホームに関わるようになってからですから、かれこれ20年も前からすでに使っていない。研修会や講義や、何か人に伝える場合に、あえて「徘徊」という言葉を使うが、単純にこの言葉は実際に見えている姿だけを表している言葉であることがひとつ、そもそも本人の本当の気持ちや言葉や行為を表している言葉ではないという意味のふたつに分けて説明のために使っている。つまりは、状態像の捉え方の前提が変わらない限り、単純な言葉の入れ替えだけの議論になるだろう。人間は、一般の人、専門職、老若男女にかかわらず、人にくっつく言葉で人の姿や関わりに創造力が働き、左右される生き物だとすると、言葉の選択は大事になる。だから「認知症の人」という呼び方や捉え方にもこだわりを持って、今も伝えているし、安易に「認知症の人」とは使わないし、言わない。そもそも、言葉を超越したところで繋がろうとする人たちにとっては、あまり言葉は意味をなさないとさえ感じている。僕にはどちらも作用するから面倒くさい。「徘徊」の言葉の善し悪しの議論は、僕の中では終結しているので、世間は今更何を言っているのだろうと正直感じたし、逆にまだまだ議論は尽くせていないと感じた。究極の話、誰かが使うとか使わせないとか、使わないようにしようとか、自分の感性に照らし合わせて、各々が決めることだろう。現に、昨年美唄市で行った訓練では、「徘徊」という言葉、文字はどこにも見当たらなかったし、専門職も含め、美唄の市民の皆さんが話し合って決めたそうだ。つまりは、その割合で世の中の成熟度は決まってゆくのだろう。昨年、支笏湖の山林の中を走る国道で、一心不乱に歩くお婆さんをみて、和田さんと僕は瞬時に支えなきゃと思った訳で、そこに「徘徊」という言葉は存在しなかった。(この時の詳細を知りたい方は、和田行男さんの中央法規出版のブログを検索して欲しい)人と人とが支え合い、助け合う世の姿がそこに集約されていたように思う。「認知症」という言葉も、「痴呆症」だったが、専門職も含めて、未だに問題な人と扱っている人はいる。だから、虐待や不適切なケアと呼ばれる行為が未だになくならない。その一方では、その本人が声をあげたり、本を出したりしてその誤解を解くために、一人称の体験を通して真実を語っている。さらに最近では、バーチャルリアリティ、VRという一人称の体験を通して認知症の理解を深めようというシステムまで生まれている。当事者が社会に向けて声を出さなくてはいけない世の中に、僕はもう、言葉の問題ではない域に来ていると感じる。「徘徊」と呼ばない、使わない社会というよりも、互いに観心から関心へ、関心から感心へ、感心から歓心へ、そして観心へと、人種や立場を超えた多様性の「かんしん」へのスパイラルへと繋がることを信じる。そうなると、自然と言葉の選択が行われる次のステップへと人類は進化してゆくだろう、と言うか、それは一部の人たちがもうすでに行ないはじめている。

10:10 | 記事 nao [コメント:1]

『幸と愛と運』

2018年03月20日 | 未分類

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幸と愛と運

自分は不幸だと思っている人はどこにいっても不幸だ

しかし

自分は幸せだと思っている人はどこにいっても幸せだ

自分は愛されていないと思っている人はいつでまで経っても愛されない

しかし

自分は愛されていると思っている人はいつでも愛される

自分は運が悪いと思っている人は何をやっても運が悪い

しかし

自分は運がいいと思っている人は何をやっても運がいい

要はどのような前提を持って存在しているかだと思う

21:33 | 記事 nao [コメント:4]

『スマホは外部脳』

2018年03月19日 | 未分類

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スマホは外部脳

僕はスマホをノートがわりに使っている

いつでも気持ちを書き込めるし

いつでも気持ちを言葉にして整理できる

僕にとってはどこでもドア🚪のような便利グッズなのです

どこにでも持ち運び自由なノートなのです

以前まではパソコンでしたが

仕事と自宅で映画を観る時以外はほとんどパソコンを開かなくなりました

写真も音楽も映画も観れてしまう万能の道具になりました

そして、最近使用目的がひとつ増えました

外付けの脳という道具になったのです

例えば

ホテルのルームナンバー

駐車場の階と番号

奥さんから頼まれた買い物

大切な言葉

仕事の日程や通院の日程

つまり

僕の記憶をサポートをしてくれる外部脳なのです

以前は、手帳でした

今では、スケジュール管理、電話番号や住所などの連絡先は

全てスマホで管理しています

ちなみにSuicaもスマホにしていますから、とっても便利です^ ^

文明の利器をどう使うかは、それぞれの生き方にも影響されるのですね

いつも有難う^ ^🙏

大切に使わせてもらいます^ ^

12:09 | 記事 nao [コメント:0]

『大丈夫』

2018年03月18日 | 未分類

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辛いことや悲しいこと
苦しいことや切ないこと
人にはそう感じる時があるの
そんな時はジッとして待つの
たまたまそうだから
待つしかないの
大丈夫になるから
いつか近いうちに
きっと大丈夫になるから

泣きたいことや叫びたいこと
怒鳴りたいことや暴れたいこと
人にはそう感じる時があるの
そんな時は感情を表に出すの
我慢しないで
いい人にならないの
大丈夫になるから
いつか近いうちに
きっと大丈夫になるから

愛しいことや大好きなこと
優しいことや嬉しいこと
人にはそう感じる時があるの
そんな時は想いを伝えるの
溢れる気持ちを
たくさん込めるの
大丈夫になるから
いつか近いうちに
きっと大丈夫になるから

18:45 | 記事 nao [コメント:0]

『ほんとうのこと』

2018年03月15日 | 未分類

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あのな

もし事故や報告の義務があるような事が起きたら、然るべきところに知らせるのが筋。

僕たちはやってます。

一見マイナスに働きかけているように見えるけれども、真面目に素直に正直に生きることで、仕事の信頼は高まっていくと信じています。

今回の財務省の問題。

そもそもありえない事の連続。

責任取るとかそんなの後にして、本当の事を言って修整しようよ

自分の命をかけて訴えた職員さんの気持ちはどうなるのだろう?

これじゃぁ、自殺した職員さんが浮かばれないよ、命懸けで訴えたんだよ。

上司は部下を讃え守る人だよ。

上司は部下に責任を押し付けて卑下する人じゃないよ。

みんな、どっち向いて仕事してるんだよ。

僕は頭にきています!

22:59 | 記事 nao [コメント:0]

『人を信じることのベースにあるのは、自分を信じられるかどうかだと思う』

2018年03月15日 | 未分類

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自分のことを信じられないで、人を信じることはできないと思う。

全ては自分が基本。自分の心の声を大切にしてあげて欲しい。

自分の心の声を大事にしていると、自然や人と繋がっていく。あるがままに身を任せることだろうな。

もう口癖のように言ったり、書いたりしている「大丈夫」。
僕の名刺の裏にも「大丈夫」と入れていて、もらったみなさんのお守りになっているようだし、もう僕の中では普通になった。

だから、僕の哲学の中にある「なんとかなる」と同義語、と言うか、「大丈夫」は、僕の哲学になった。

自分の意見や自分の言葉が思うように出せないような時は「素直に感情に身を任せる」といい。
すると「素直に感情に身を任せる=なんとかなる=大丈夫」という方程式になる。
それが、自分の経験から来る手本になっている。

素直に腹がたったときは「バッカヤロー!」「ふざけんじゃねぇ!」と大声に出して言うのも乙なもの。

ヘラヘラと笑っていた自分の挑戦。

ちなみに僕は車に中で思いっきり大きな声で言っています(爆笑)。

何れにせよ、何はともあれ、結局は収まるところに治まります。

今を生きる自分の感情を大切にしよう^ ^

08:04 | 記事 nao [コメント:0]

『正負の法則』

2018年03月14日 | 未分類

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「正負の法則」って聞いたことありますか?

当にその通りのことが起こります。
良いことがあると、その後そうでないことが起こる。

正負は循環するのか?
僕の中での理解は違う。

つまり、循環や廻るとか、繰り返すという理解ではなくて、全てはその瞬間、同時に起こっているという理解です^ ^

で、その善し悪しの判断は、そう単純ではないです。

兎に角、正負や善悪はどちらか一方だけでは存在できず、必ず一緒。

ということは、それはなくならないということ。なくならないから、安心。正負や善悪を大きくするも小さくするも、心の在り方ひとつ。

今やるべきことをやる。それだけです。すると、いつの間にか「大丈夫」が来る。

「神のはからい」は、多様性に富んでいるから面白い。

07:50 | 記事 nao [コメント:0]

『どうせ=やっぱりの法則の証明』

2018年03月12日 | 未分類

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人材不足とか、人がいないとか、人が来ないとか、そう言うのを僕は辞めにしました。

そもそも「人材」などと、人を材料のように呼ぶのもどうかと思います。僕は「人財」と表現します。

さて、なぜにそう言わないというか、意識しないようにしたかというと、なんだか自分たちでその状況を引き寄せている感じがするからです。

ここにも「どうせ=やっぱり」の法則が影響していると思います。

「どうせ」介護は、大変な仕事だから人なんか来ないって言う観念が、「やっぱり」来ないという現実を生んでいるような気がします。

では、どうしたらいいのか?
「どうせ=やっぱり」の法則を使うのであれば、真逆に意識して使うようにしたらいいのです。

「どうせ」介護は素晴らしい仕事だから、ほら!「やっぱり」人が来るでしょう、人が集まりすぎて困ってるべさ、と言う現実を引き寄せることになるのです。

だからもう無意識のネガティブキャンペーンは止めにしました。

そうでないと

今度は、人が来ないことを理由に、色んなことが成されなくなるし、昔のような介護に戻ってしまうと思っているのは僕だけでしょうか?

現にすでにそうなっている所もあるように聞いています。

そうなると、せっかくの人財が疲弊して、辞めてしまうと言う負のスパイラルが生まれているのです。

制度や仕組みで言うと、ロボット活用の推進をいいことに、人財の解消のため、管理や監視の仕組みが構築されようとしています。環境は、使い手の意識でいかようにも変化すると言うことを、僕たちはすでに過去の歴史から学んでいます。

この国は昔、回廊式の歴史を踏まえて認知症施策の見直しを認め、新たな制度の構築に挑んできました。

本当に、これでいいのでしょうか?

これは僕たち国民の課題です。国民一人ひとりが真剣に考えなければならない時期に来ていると思います。

歴史は繰り返されるのでしょうか?

08:15 | 記事 nao [コメント:0]

『介護する人をケアする大切さ』

2018年03月12日 | 未分類

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昭和63年7月、僕は介護に世界に飛び込みました。あれから、かれこれ30年になります。

その間、順風満帆でもなく、色んな壁があり、乗り越えたり、横からすり抜けたりしながら、その都度あらゆる感情を抱きましたが、チームや仲間たちと話し合い、お互いに支え合って解決してきました。

研修に参加しては、自分の知識や意識やスキルを高めていきました。でも、いつも感じていたことでしたが、僕たちがケアされる事はまずありませんでした。それは、自分でケアするしかありませんでした。

そこに、虐待や不適切なケアの本質や前提が隠されているのではないかと僕は考えています。

逆に僕たちこそケアが必要な人たちではないかと、いつもそう感じていました。

ですから、これからの僕の役目は「認知症」の話や「介護」の話もとても大切ですが、これだけ伝える人も増え、ましてやご本人さんが声を出し伝え、書籍まで出る時代になりました。様々な研修や講演会が盛んに行われていますので、そこはお任せすることにして、僕は「介護する人をケアする」を重要なテーマとして、これからも継続して伝えていくことが大切だと思いました。

つまりケアされるケアがケアされる良きスパイラルを創造していくことが大切だと思うのです。

介護にあたる人が、ケアされる業界や世の中にしていかなくてはいけない、そこに意識が流れるようになると、この業界の質はさらに高まることでしょう。

この仕事は、心も身体も魂も満全に活かされる、人間性溢れる人間専門職です。滅茶苦茶な英語ですが、ヒューマンプロフェッショナルです。誇りある介護師を目指して、将来希望の持てる職や仕事になるように育んでいけたらと考えています。

08:12 | 記事 nao [コメント:0]