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『リーダーフォローアップ研修』

2016年01月21日 | 未分類

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今日は『実践リーダー研修フォローアップ研修』

日胆ブロックで、2度開催致しました認知症介護実践リーダー研修のフォローアップ研修を企画しました。

協会のブロックの助成金を使っての研修会です。

リーダー研修修了者を対象に20名の皆さんが参加されております。

アウルも、伊達と登別から2名参加しています。

伊達は、今地管理者、登別は、宮崎管理者です。

この研修会は、今それぞれに抱えている課題を持ちよって、4人1グループで、それぞれに事例提供者、司会者、記録者、発表者の役割を持ち、全員の課題を解決してゆくという内容で行っています。

これは、自分以外の誰かに課題を解決してもらおうとする単純な他力本願というものではなくで、それぞれの役割を担いながらも、自らの課題の解決の糸口を探ることを目的としています。

他者の意見を聴くこと、自分の意見を伝えること、他者の意見を自分の意見と融合させていくこと、他者の意見に対して様々な感情のやり取りが織り成されてゆくこと、その中で自分の思考と発言と行動の変化を感じること、また、それらを書き出すことによって整理されていくこと、他者が自分の抱えている課題や悩みについて一所懸命に考えてくれるということ、話を進める中で自分の中で思考が展開され整理されてゆくこと、そんなことたちが自分たち4人のチームに巻き起こるのです。

自分たちで解決しようとする空気が会場中を包み込んでいます。

参加者にとっては、とてもいい機会であり、有意義な時間となるでしょう。

皆さん、明日も1日ありますが、頑張って下さい。

お疲れ様です。

nao

15:34 | 記事 nao [コメント:0]

『はじまり』

2016年01月20日 | 未分類

おはようございます。

ずっと気になっていたことです。

私は自分のことを、会話や文章で表す時「わたし」と表現します。

以前、ある人の影響で自分のことを「ぼく」と表現したことがあります。

それはいまでも度々表現されます。会話の時でも文章でもです。

ある日のことでした。

ある人から「なぜ、いつから自分のことをぼくと言うようになったの?」ような質問をされました。

自分には、何か自分を試されているかのように、何かを気づかせようとする質問に苛立ちを覚えました。

誰かに影響されている自分であることが、いまの自分の思考を惑わせている、若しくはあなたらしさを失うことはあなたにとってどうなのかを問われているようでした。

そのことも理解していました。

なにを言いたいのか。

そのことも含めて自分は自分であるということ。

わたしは自分(人間)であるということを恐れています。

わたしは(自分)人間ではないと言われることを恐れています。

わたしは人間を恐れています。

人と繋がることを恐れています。

影響されること、影響することを恐れています。

そろそろかなと思います。

やはりわたし(ぼく)はアウルに包まれながら発信するのが一番居心地がいい。

nao

08:49 | 記事 nao [コメント:0]

『謹賀新年』

2016年01月13日 | 未分類

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大変遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。

あけましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い致します。

 さて、当社も平成13年に設立以来、認知症対応型共同生活介護事業(グループホーム)を伊達市と登別市で、認知症対応型通所介護事業(デイサービス)、居宅支援事業所を伊達市にて開設し運営をさせていただいて参りました。途中、グランデージ北湘南という高齢者向けのアパートの一階でレストランと管理を担当させていただく機会もいただきました。これまで多くの皆様のご協力のもとに、皆様がいざ支援が必要となった時の為の備えとして行って来ることができました。そうして月日が流れかれこれ15年目に入ることができました。しばらくの間新規の事業を控えて参りましたが、この度、伊達市の公募にて、小規模多機能型居宅支援事業所を、サービス高齢者住宅も併設した形で、更なる備えをさせていただくことと相成りました。この事業を簡単にご説明しますと、自宅を拠点として通所介護、訪問介護、ショートステイの3つのサービスとケアマネージャーによるケアマネジメントが一体となった介護保健事業のひとつです。今後、住民説明会、専門職への説明会と開催させていただく運びとなりますが、新年のご挨拶と共に、新規事業のお知らせをさせていただきました。開設の予定としましては、本年、平成28年12月1日を目標に計画をすすめさせていただこうと思います。何卒、ご支援ご協力を賜りますようお願い申しあげます。
 これからも、自宅で生活する方々の応援団の一員として、『支援』の精神、支え持つことの精神は変わることはないでしょう。

nao

08:33 | 記事 nao [コメント:0]

『年末のつぶやき』

2015年12月30日 | 未分類

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今年最後の研修会で、ひとつ試みてみようという事をしてみました。
それは『認知症』という言葉を資料に一切使わず、更に『認知症』という言葉を発しないでお話をするというものでした。
テーマは『繋がるということ』
それはそれは意識しましたが、最後まで使わずに終える事ができました。
研修会の最後に、今日の試みのお話をする際に、一回だけ『認知症』という言葉を発しましたが、それ以外は私からの『認知症』の発信はしませんでした。
何故かわかりませんが、『認知症』という言葉やその意味に対して、ずっと違和感を抱いているからです。「人」の前に「認知症」がついて『認知症の人』になります。それがどうしても納得がいかないのです。ご本人が『認知症』の事を発するようになって尚更違和感を感じてしまっています。僕は認知症の宮崎さんではないのです。宮崎さんなんですが。。。という具合に。屁理屈ですかね。でも、これからも私ごととして『認知症』という言葉を使わないことを自然の在り方として追究してゆけたらなぁと行動を起こしていきます。

追伸:写真は、偶然東京の地下鉄の駅で見つけたものです。ポスターとして貼られていたので、掲載してもいいかとおもいましたので、掲載しましたが、もし不都合がある場合はご一報下されば幸いです。よろしくお願い致します。

nao

22:57 | 記事 nao [コメント:0]

『本質』

2015年12月20日 | 未分類

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もっと自分が嬉しくなること

もっと自分が高まること

もっと自分が凄くなること

もっと自分がかっこいくなること

もっと自分が笑えること

もっと自分ががんばれること

もっと自分がヤッホーなこと

そんなことたちをすると

もっと自分のまわりが豊かになるんだ

そう思うよ

nao

21:12 | 記事 nao [コメント:1]

『家族』

2015年12月15日 | 未分類

『お母さん 傍にいてよ』

僕は恥ずかしいですけど

小さい頃

お袋が傍にいるだけで気持ちがホッとしました

ただただ純粋にホッとできました

そんな関係であった事が僕にとっては今嬉しく感じます

どんな時でも

傍にいるだけで安心できる家族がいることで

少しでも安心して過ごせるのです

僕たちスタッフは家族にはなり得ません

どこまでいっても、なにをしたとしても

家族にはなれないのです

本当の家族になることはできないのです

ですからお願いです

少しでもいいですから逢いにきて下さい

ほんの少しでもいいですから

僕たちは認知症のケアのスペシャリストですが

しかし家族にはなれないのです

nao

22:47 | 記事 nao [コメント:4]

『正義』

2015年12月07日 | 未分類

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今更ですが、いろんな人がいるなぁ〜とつくづく

そしてそれぞれにそれぞれの正義があるんですね

その正義をどのように表現し人に伝えるかで色々と様変わりするもの

いろんなつながりの中で生きている私たち人間にとって
必然的に経験する摂理

人が生きるということはどういうことかを本気(マジ)に語り合える仲間といたい

そんな仲間は 私は大切にしよう

nao

20:39 | 記事 nao [コメント:0]

『幸せになるための10か条』by nao

2015年10月28日 | 未分類

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幸せになるための10か条 by nao

1 人の言うことを鵜呑みにしない信じない
2 自分の感性を信じる
3 何度でもやり直す
4 好きなことをやる
5 親を大事にする
6 どんな自分も受け入れる
7 不安を受け容れる
8 たまには泣く怒る悲しむ
9 答えを求めない
10がんばる がんばる

笑顔だとか、がんばるなとか、前向きにとか、ポジティブにとか、感謝とか、人を愛せとか、皆んな結果だ。嘘だ‼️までは言わないが、全ては見返りや報酬を期待している人間のエゴの結果だと思う。そんな見返りや報酬も結果。

自分は自分を信じて生きてゆく そう決めたんだ。これでいいんだ。

12:45 | 記事 nao [コメント:0]

『仕事の価値』

2015年09月20日 | 未分類

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ずっと思っていたことを今日は勇気をもって言わせていただきます。

介護職の多くの方が言うのですが、お年寄りから「ありがとう」と言われることがいいという。

つまり感謝される仕事だからなのだ。もっと突っ込んでいうならば、私には豊かな思いやりの精神があり、喜んで他者を助けることで喜びが得られるからこの仕事を選びましたとか、この仕事を続けていますというのです。

しかし、それはたとえ思いやりからなされた善い行いはどんなに感謝されようが、本来の私達の仕事の本質や価値とは違うところにある単なる思いに過ぎないのではないかと思うのです。

善い行いをし、人から感謝され、そのことを喜びと感じる、それが介護職の本望であるというのは称賛や奨励に値すると思うのですが、それはそれまでなのです。

私たちの仕事は、誰かに称賛や奨励されるためにしているのではないのです。

例えば、他者を支援し感謝されたとしましょう。『ありがとう」と言われ誰もがいい気分を味わうだろうし、そのこと自体否定する何物でもありません。

だがしかし、同じことをして他者から感謝されるどころか、私たちの支援や行為を打ち砕かれるような場面に遭遇したとしたらどうなるでしょうか。私たちの気分は落ち込み、相手に対しいい思いを抱かなくなる人もいると思う。もしかしたら、自分の思いとは違う反応が返ってきたことで、逆切れし虐待行為へとはしったり、具体的な虐待行為をするとまでは行かないにしても、してしまう寸前であったり、してしまうかもしれないという感情を抱いたりとなってはいないだろうか。

つまり、私たちの仕事(介護や支援やケア)が、私たち自身に喜びをもたらすかどうかではなく、その中身を精査し、そうすることが正しいという判断と動機で仕事にあたることが大切であり、結果そのこと自体が仕事への確かな価値となることである。

決して、他者の反応で僕たちの仕事の価値を決めてはいけないと思うのです。

この仕事の価値の良し悪しは、そこにあるのではないかと考えます。ですから、もっと自分の仕事に自信と誇りを持つべきです。私たちの仕事が国民から支持されるためには、しっかりと自分の仕事の中味を精査し、見返りを求めた行いではなく、確固たるロジックを持ち、事にあたり続けることではないでしょうか。(宮崎直人)

14:58 | 記事 nao [コメント:0]

『グループホームのこと』Facebookより

2015年09月10日 | 未分類

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すみません。グループホームのことについて少し言わせてください。
グループホームは、介護保険法第五条の二に明記されています『認知症とは』を支援するために、その方々の衣食住を共同で「生活することをベース」に支援するためにできました仕組みです。
認知症に伴う認知機能の低下への支援を地域という生活資源をベースにそれらを有効に活用し、支援してゆくことを目的に、その特徴とした活かした介護保険サービスであり、他の介護保険事業とまったく違う機能を意識して満載されできた仕組みです。
認知症ケアに切り札、認知症ケアの救世主と言われた所以がそこにあります。
認知症ケアを一括りとして考えるのではなく、介護保険法に基づいた認知症の本質に焦点をあてたケアの在り方は、まったく異なった仕組みなのです。逆に言えば、システムが異なりなますから、他の事業所と比べることは、そもそもおかしいのです。
そもそも『認知症』に伴うことによる何を支援するのかが、それぞれの介護保険事業所によって異なり、尊厳を保持し、それぞれにその有する能力に応じた支援の責任を持っていると考えます。
「認知症ケア」を一括りに考え、それぞれの介護保険事業の良し悪しを議論するのではなく、しっかりとそれぞれが持つ機能を精査し、国民が選択できるような仕組みにしていかなければならないのではないでしょうか。
グループホームとは、その認知機能の低下により、うまく生活と折り合いが持てなくなることにより起こってしまうあらゆるズレに対して、しっかりと向き合える仕組みとして生まれました。それがグループホームの本来の役目です。
しかし、グループホームだけではできないこと、他の在宅サービス、地域密着型サービスと連携していくことで、認知症の状態にある方の認知機能への支援がより充実していくことも経験してきています。
こうして、共同支援システムを構築していくことが発展的な形としてのグループホーム像へと進化しており、国民から求められている姿へと変容してきているのも事実であるとも思います。
ですから、グループホームも時代に即した運営の在り方を考えたときに、多機能的な仕組みも大いに活用していただけるような進化したグループホーム像も大いに議論すべきです。
そこには、医療と連携することにより最後まで支援する機能も持っています。訪問看護や在宅医療の協力によって、グループホームで看取ることの選択が可能になっています。本当に感謝すべきことで足を向けて眠れません。
ですから、地域に必要な介護保険サービスの一つとして、どれだけその機能をまっとうに発揮できるかを議論してゆけたらと思うのです。
それぞれの地域でできることは、地域にすでに密着した仕組みや集まりや取組みがあります。また、それぞれの地域では困難なことに関しては、一致団結して取り組む集まりとして、その枠を超えての協力体制の充実が必要です。
是非、皆さんの地域でも議論を活発化させ、この国の認知症の状態にある方への支援の在り方や生活の在り方を考えていけたらと思います。
私は、だれもが例外なく 思うところの自分の力で 自分の思うことにしたがって 自分で選択する権利を 思い描ける社会の実現のために、そうしたそれぞれの思うところの生きる姿を支援するのが私たちの仕事だと思っています。
長々と申し訳ございませんでした。
今の私の思いとして綴らさせていただきました。
最後に、「悩める姿動者」の私に助言いただいた仲間のみなさん、本当にありがとうございます。この場をお借りして心よりお礼を申し上げます。
私のVW(ビジョン・ワーク)は明確となりました。
52歳最後の記念すべき日となりました。(2015.9.6 宮崎直人)

21:56 | 記事 nao [コメント:0]