大丈夫‼️
nao
2016年11月01日 | 未分類
2016年10月31日 | 未分類
『生』と『死』について考えました
考え抜いたまではいきませんが
そこそこ考えました
そしてある結論に達しました
それは
僕の場合は生命保険やガン保険に入るときに考えるくらいだということ
ということで
僕はあまり死ぬということに執着していないということに気がつきました
さらになんでだろうと考えました
するとある経験に行き着いたのです
実は僕が50歳になる年に少し大げさですが
生死分け目の大きな病を患ってしまったんです
もう完治しないそうです
寛解という状態にはなるようですが
未だにプレドニン(ステロイド)を飲んでます
そんでもってその時も考えたんです
入院中は考えることくらいしかないので
この先どうなるんだろうって
色んな不安が襲ってきました
家族のこと
会社のこと
お金のこと
死ぬということ
いろいろでした
その時の結論がこうでした
人はいつか死ぬ必ず死ぬ
どんな死に方をしようが平等に死ぬ
逆に相対的に
今生きているということはいろんなことを謳歌したほうがいいんじゃね
という最終的な結論に達したわけです
なので結構考え抜いた結果
自分が死ぬということに関しては無頓着なのでしょう
でもね
そんなことを考えていたら
僕1人で生きているわけではないということに気づいたんです
ですから
一度離婚した奥さんと
もう一度やり直すことにしたんです
彼女は命の恩人なんです
そうやってなんだかんだと今生きています
かなり脱線してしまいましたが戻します
僕のホームは
『認知症』という誰かが名付けた状態にある人の、支援を考えながら生活を営んでいるところです
ですから
否応なしに人と人との繋がりが生まれます
人と人とが支え合いながら
わけのわからない病とたたかいながら生きているんです
それも治らないそうです
困ったものです
ですからどう死ぬかなんてどうでもよくて
それよりも今この瞬間をどう生きるかを
そしてどう人生を謳歌するかを考えたほうがいいに決まってるんです
ということは
基本的に僕のホームでは
死に対して特別なことはしていません
ただただひたすら生きていることに不快な状態や状況にならないように
みんなで考えて生きているということを支えていくだけです
ちなみに僕のホームでは
これまで14名の方が命を全うされました
ですから
僕には「こうあるべき」とか「ねばならない」ということがありません
これが私の考える『死』と『生』なんです
nao
2016年10月30日 | 未分類
道東ブロックに所属する有志によるキャリアパス事業が始まりました
『現時点でのCAREとは何か』〜社会資源であるお年寄りが地域を創る〜と題して
株式会社 あおいけあ 代表取締役 加藤忠相 氏の講演
先日札幌で行われました日本認知症ケア学会でもお呼びしましたが、NHKのプロフェッショナル 仕事の流儀でも出演されていました。
相変わらず真に迫ったい話です。
伝え方や話し方に違いはあれど、同じ匂い同じ感性を感じるのです。
今日と明日の2日間、みなさんの感性が豊かに響き合うことを希望します。
nao
2016年10月29日 | 未分類
世間では土曜日というみんなが遊びたい週末に
私の所属する
西胆振保健医療福祉圏域連携推進会議在宅医療専門部会と胆振振興局主催の
『介護職のための看取り研修会』(実践編)が行われました
事前申し込みが117名
当日は103名の参加をいただきました
内容としましては
事例報告が2件
医療従事者が在勤している施設での看取り
特定施設入居者生活介護(ケアハウス)
医療従事者が在勤していない施設での看取り
認知症対応型共同生活介護(グループホーム)
の報告がなされ
それぞれに専門Dr.の解説が添えられました
休憩後
後半は「最後まで美味しく食べられるいうな食事の支援」では
ドリンクにとろみ剤を1%、2%、3%入れた違いを体験
また、おやつと肉じゃがのソフト食の試食体験
これまでにない体験学習に新鮮さを覚えました
是非、北海道の協会でも研修に取り入れてはと感じました
とても貴重な体験をさせていただきました
有難うございました
nao
2016年10月28日 | 未分類
最近子供達の問題行動が増加しているという
不登校とかイジメとかそういうの
そんなことをラジオで言っていた
ほんとか〜と思った
実は
その調査は先生たちが回答した結果であって
子供達に聴いた結果ではないそうだ
この国はおかしいことが起きる
さらに問題行動の原因は何かの問いに
先生との関係という項目が一番低いパーセンテージだったそうだ
ほんとか〜と思った
介護の業界は
やっとそこに気づきだしたのだが
まだまだだ
教育の現場は私たちよりも歴史や伝統があるから
その前提を変えるには相当な覚悟がひつだろうなぁと思った
そこから脱却するには時間がかかるだろうなぁ
気づいて前提を変えて実践している先生たちもいると思うが
まだまだ異端児扱いされてるんだろうなぁと憶測する
ま
どの業界も似たようなもんだけど
どこまでできるか挑戦し続けるしかないな
これでいいってないから
ゴールがないから
やり続けることしかないなぁ
昨日小規模とサ高住の進行具合を見に行った
窓枠が入り
想像を働かせることのできるか段階まで来たようだ
楽しみである
nao
2016年10月28日 | 未分類
少なくとも
僕のところで生活している皆さんは
「わかってもらいたい」とか「わかって欲しい」オーラはない
とても正直に生きているだけ
自分に嘘がなく生きているだけ
僕らにできることは
彼らの中で起こっていることを憶測しながら
彼らの生活をできるだけ共にし
彼らに起こっていることをわかろうとすることしかできない
でも彼らは僕たちが専門性と呼ぶトンチンカンなところとは関係のないところで繋がろうとしている
それが普通だ
僕らのトンチンカンな専門性をどうする?
nao
※写真は、昨日泊村老人ホームむつみ荘さんです。真剣に認知症と人の支援のあり方について考えました。お互いに追求しましょう。おせわになりました(^^)
2016年10月27日 | 未分類
何かの会の役員なんかやってると
「私たちの大変さをわかってもらいたい」と
いつも言われる
そう言われる度に
『俺も大変なんだよなぁ』と思ってしまう
そうやって正しい合戦をしてしまう
僕はこれまで会の会議とかではあまり感情を表に出さないように出さないようにしてきた
その度にいつも自分に嘘ついているなぁって感じていて
本当に辛い
いつもヘラヘラして
みんなをなだめて中立的な立場を貫こうとする
できるだけ争いのないようにないように
穏便に事を治めようとしていた
そうしているうちに
本当の自分の心の中がわからなくなって
心や頭の中で反発して
苦しくなって
一人になると・・・
結局自分を責めてしまう
自分のできることを
ただやればいいだけなのに
人の評価を気にして
「頑張ってる感」のオーラを出して
「人に認めてもらいたい」オーラを出す
それよりも
『自分にできることは何かを考えて行動を起こす』
これに尽きる
これ以上でも以下でもない
結果や評価や責任を周囲に求めない
そんな関係の世の中だといいなぁ
と思う
nao
2016年10月26日 | 未分類
不安の本質は、起きてもいないことを、ことさら思考の中で想像して、あたかも現実として起こってしまうと思うこと
そんなことが僕には起きる
その想像を作り出す材料は過去に起きた出来事だったり、経験だったり、誰かに言われたことだったり、信じていることだったり
結局過去のことを基本に出来ている
そんなことに思考や時間や心を費やすのはもったいないと思いながらも思考してしまう
解決の糸口は
そんな僕もOKと受け止めることしかないようだ
起こってしまうことは起こる
起きてもいないことは起きるから
でも大丈夫なんよ👌
どうしようもないことも含めて起きるから
それでも大丈夫👌
そう思って次に進むの
それしか僕には方法が無いようだ
nao
2016年10月25日 | 未分類
私たちは、ずっと『認知症』の状態にある方々の支援に携わってきました。
人の強さと弱さをありのままに実感してきましたし、していますし、これからもしてゆくでしょう。ですからどんな姿も有りで、その姿同士が支え合っているに過ぎないと感じています。本来、私たちが目指しているところはそこにあるのではと、日々自問自答しています。
社会の仕組み創りは、個々の在り方の集積により、柔軟に強さも弱さも受け入れられる事のできる社会の実現だとすると、『認知症』という一点だけのことではないと思います。あくまでも『認知症』は切り口であり、『グループホーム』もひとつの仕組みというか道具に過ぎません。多分、私たちは、その仕組みの有する機能の中で、最大限の敬意と尊厳の元に、人の命と向き合うことが使命なのだろうと思います。
以前、こんな方がいらっしゃいました。
Aさんという方が右手に箒を持ち、左手にちりとりを持って室内の掃き掃除をしていたとします。その方と僕との関係が途切れない関係の空間(感覚空間)の中で、互いに繋がり抱きながら掃除をしているとします。しかし、時に別な方との空間や関係を優先しなくてはいけない事態が起きた場合、私の中では優先順位が働き、別なBさんという支援のベクトルへと動くとします。その間、私はAさんから離れます。少しの時間だと思うが、再びAさんをみると、左手に箒を持ち、右手にちりとりを持ち、そのちりとりで掃除をしているという事態になる。
例えばこんな具合に、Aさんの中で起こっている事の事実をしっかりと見極め、その方の認知機能が継続的に働くように支援してゆくことと、やがて、Aさんの『認知症』に伴い、全てが行えない状態になってゆく。そのプロセスを支援してゆくことが、私たちが行っている本来のケアです。
私たちはそこの追求にかけてきましたし、またこれからもそこを追求していこうと思うと共に、そこがわたしたちの使命だと思います。その中で起こりうる困難なことは、多種多様に共同していくしかありません。それぞれの特徴をお互いに出し合いながら、折り合いをつけていくことなのでしょう。
そこで、今回のフォーラムでは、今後グループホーム果たす5つのミッションを掲げさせていただきました。目先の課題ではなく、その先の未来を見据えて、今の行動、アクションを皆さんと考えたいのです。それが、今回のテーマである『グループホームの新時代を考える』なのです。今回のフォーラムの場が、グループホームのあり方、すなわち『Being(あり方)』を考える切っ掛けとなれば幸いです。さぁ!!大いに議論していただきたい!!この5つのミッションを切り口に、地域のおける認知症支援の真の切り札として、どう育んでいくのかを徹底的に議論を深め、我が国における『認知症』の状態にある方々への支援の光を導き出していただきたい!!当日、ご登壇いただける皆さんだけではなく、会場に集まっていただける皆さんが、その思考と言葉と行動をフルに活動していただけると幸いです。
何度も申し上げ恐縮ですが、生活(暮らし)をベースに『認知症』に伴う総合的な支援が継続的に展開できる場として、さらなる発展を目指して、それぞれの特徴を生かし、最期まで人生を謳歌できるように、地域の中で応援する存在として新しい時代を創造していこうではありませんか!(宮崎直人)