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『新年の信念』

2017年01月02日 | 未分類

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その当時の僕は
自分の思うようになる人
若しくはおとなしい何も問題のない人を軽度と言い
自分の思うようにならない人
若しくは問題のある人を重度と言っていました
そして自分の想い通りになる人
自分の言うことを聞いてくれる人
静かに一日黙って座ってくれている人
自分がやってもらいたい役割を気持よくやってくれる人
そもそも帰るなどと言わない人等々
つまり自分が安心してみれるかみれないかの違いで
問題があるかないかを決めていました

グループホームって
振り返ると
これまでの経験の意識変革と世間からの偏見とスティグマからの解放の象徴だったと僕は思います
ある意味
革命といってもいい
彼らの多くは
その環境や偏見との狭間で足掻きもがいて
その不適切な環境と偏見と関わりと戦っていました
もちろん
かかわり手である僕たちも同じでした
そのことに
気づき始めた人たちは
生活環境や支援の仕組みや在り方を見直し
生活をベースに認知機能の低下を支えていく仕組みを考えました
それがグループホームの始まりでした
彼らが過ごしやすい環境(住まい)をベースに関わり方を創っていきました

しかし
最近のグループホームの現状は
グループホームができる前の
過去の経験と様々な偏見やスティグマのある時代へと逆行しているような気もしています
もしかしたら
そもそも未だそこから抜け出してなかったんじゃないのか?と思うくらいです
僕たちがいろんな言い訳を作っては
生活の支援を諦めているような気がします
冷静に彼らに起こっていることを観ると
彼らに起こっている認知機能が低下してゆく線(糸)と
さらに生きていることで起こりうる様々な要因という点との狭間で
線(糸)が切れたり絡みあったりして
自分では繋げられないほどの切れ方だったり
自分では解せないほどのダマになったりと
もはや自分の力では・・・
そこに今まで通りにいかない歯痒さと苛立ちという感情の点が加わり
さらに複雑になる

僕たちの仕事は
その複雑に絡み合ったり切れてしまった線(糸)を
日常の生活の中で
少しづつ一緒にほぐし解いたり紡いでいくこと
僕たちには沢山の「生きてゆく」という線(糸)があって
その線(糸)は
複雑に交差し合い
うまく繋がっている
時に僕たちにも
線と線とが絡んでしまうことがある
自分一人ではどうしようもなくなった時
誰かがそばにいて
その線を解く手伝いをしてくれたり
自分で解けるように導いてくれたり
それだけで僕は嬉しいし
ホッとするし
直接解いてくれるわけではないけど
そばにいて励ましてくれるだけでも
有難いと思います
そんな関係が築けたらいいなぁと思います

グループホームは
それができる場所であり
グループホームの利点を最大限に発揮できれば
こんな素晴らしい場所(住まい)はありません
そんな場であることを
病気で一人ではなかなかうまく繋げられなくなっている「生きる」という点の連続を「生きてゆく」という線(糸)に共に繋げてゆくために生まれてきた仕組みとして

僕はこの仕事に誇りを持って挑んでいきます

nao

11:46 | 記事 nao [コメント:0]

『たい』

2016年12月31日 | 未分類

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たぶん僕が自分の意思とは関係なく新しいところに住むことになったら、不安だろうなぁと思います。何度も玄関に来ては自分の下駄箱を確認しては、自分の確かな存在を実感したくなるでしょう。そりゃ〜不安になりますよ。そこにね、自分の信頼できる顔があったりすると、少しはその不安も解消されるでしょう。で、その「信頼できる人」と相手が自分を思うまでには、たぶんいろんな関係の出来事の連続が起こってのことなんでしょうね。例えば自分の「したい」を叶えてくれる人とか、自分の気持ちを汲んでくれる人とか、話を黙って聞いてくれる人とか、自分の感性とかなり近い感じとか、そんな感じなのかな?たぶん僕がそんな感じだったらですけど。新しいところでの生活に、ワクワク、ドキドキ、ウキウキ感のほうが多いなら、多少の不安は自分の力で解消できると思いますけど、もしその割合が逆だったらと考えると、なんだか心が落ち着きません。なんだかというよりも、ぜんぜん落ち着きません。自分の「したい」にあまり関心がなくて、誤魔化されて、別な話に持って行かれたとしたら、その関心に感心させようとする心内が、知らないうちにというか、自然に行いや言葉や表情や、なんらかの形で現れるのでしょう。どうしたらいい意味での、ワクワク感やウキウキ感やドキドキ感を感じることができるのでしょう?日々の小さな不安を安心に変えることが僕たちにできるのだろうか?そんな気持ちを抱きながらいるんです。頼りないでしょう?日々そんなことを考えながらいると、これでも専門職の端くれですけど、そんな僕たちの迷いと不安もあることに気付くんです。そうなると、相手の不安よりも自分の不安の解消に努めるようになってしまう僕たちの弱さとの戦いも加わるんです。なんということでしょう。それでも僕たちは向き合うことを選びました。この場所が、あなたの人生にとって素晴らしい場所となるように、僕たちはあらゆる課題と向き合います。あなたの「たい」を叶えるために、あなたが「たい」を叶えられるように、あなたと共に考えます。あなたの「たい」を叶えるための労働ではなくて、あなたが「たい」を叶えられるよう仕事をさせて下さい。どうかあなたの「たい」を失わないように、僕たちを導いて下さい。

今年最後の想いの発信でした。
来年もどうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m

nao

13:13 | 記事 nao [コメント:0]

『人間関係でうまくいくコツ』

2016年12月28日 | 未分類

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人間関係でうまいくコツがある

それはね

『自分と相手を労うこと』

そしてね

『これを習慣化すること』

この2つ

騙されたと思ってやってごらん

それだけで

全ての関係が良くなるから

nao

22:01 | 記事 nao [コメント:4]

『僕の一面』

2016年12月28日 | 未分類

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罪悪感がない事がいい

罪悪感はいつの頃から

僕の心に宿ったのだろう

結局

自分に自信がなく

人を信頼できない人間にとって

自分が安心していられる方法は

罪悪感を持つ事

それが一番手っ取り早い

いつも罪悪感に追われ

いつも自分を失う怖さと

戦っている

そんな僕の一面もあるんだよ

誰にもわからない

僕の一面

nao

08:51 | 記事 nao [コメント:0]

『ひとりの人間として』

2016年12月27日 | 未分類

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ひとりの人間として

何が出来るのか

突き詰めてゆくと

一人では何もできない感じに突き当たる

ひとりの人間として

存在できるとすれば

周りの人や物や全てに感謝しかない

という事に

辿り着けるかどうかだと

いま僕は強くそう思える

毎日が有難うの連続

有難うの連続

有難うの連続

有難うなんです

誰がなんと言おうとも

有難うなんです

有難う

nao

18:53 | 記事 nao [コメント:0]

『SNS』

2016年12月26日 | 未分類

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SNSでコミュニケーションをとろうなんて無理

SNSはコミュニケーションの道具じゃなくて

単に発信と受信の道具に過ぎない

そこにコミュニケーションを求めるからおかしくなる

メッセージしたのに

返信がないとかね

いいねがないとかね

求めない

見張らない

それが基本さ

nao

12:47 | 記事 nao [コメント:5]

『100歩譲って』

2016年12月23日 | 未分類

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100歩譲って

当人が自分で自分のことを

「認知症の人」って言うんなら

仕方がないけど

僕は言わんよ

そう決めたんだ

nao

21:21 | 記事 nao [コメント:9]

『なんかなぁ 第2弾』

2016年12月20日 | 未分類

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僕らが傷ついた時

身体が細胞分裂を繰り返し

傷口を治す

もし治らない時は

いろいろと葛藤はあるけど

そのことと共に在ろうとする

認知機能が低下してゆく病を持った時も同じじゃないかな

身体は傷を治すのと同じように正直に自然に

いい状態に持っていこうとするんです

治らなくても治そうと

全身全霊を持って

そこに持っていこうとするんです

その治そうとする力を

僕たちは信じること

ただただそれだけのこと

僕はそう決めました

nao

23:13 | 記事 nao [コメント:3]

『なんかなぁ』

2016年12月20日 | 未分類

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なんかなぁ

今返済できなくて困っている子供達がいるんだけどなぁ

なんかなぁ

この子たちにお金をかけないで

この国の将来はどうなるのだろう?

なんかなぁ

こんな中途半端な政策でいいのかなぁ

なんかなぁ

僕はこの国の未来に責任があるから

いま困窮している子どもたちや

支援が必要な高齢者や

いろんな事情で社会とうまく折り合いがつけれない子どもや大人や

小さな子どもたちやお母さんたちが社会の都合で右往左往しないように

そのことに使うために

消費税や所得税をあげることは

大賛成(^^)

でも負担(責任)はしません

でも最高で良質なサービスを

というのは

虫が良すぎる

逆に

本来やることをしない

でも報酬をあげろ

というのも

道理が通らない

やっぱりこの国はどこかで道を間違ったようだ

そんな国だからこそ

自分を生きなきゃって思ったよ

ある意味

有難うだなぁ

nao


nao

13:47 | 記事 nao [コメント:5]

『支離滅裂な僕の人生の秘訣 その3』

2016年12月19日 | 未分類

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3つ目は

『責任が持てる』

責任をとるって

僕の最大の難関

自分の言葉や行動に責任を持つってこと

人に責任転嫁をしないこと

自分に誇りを持って

ことにあたることなんだと思う

2つ目の秘訣にもあったけど

「どんな自分にもOKを出す」

これも

僕が勝手に心理学の師匠と思っている人からの受け売りだけど

「最低な自分も含めて最高なんだと思うことにする」

これも僕なんだ

あれも俺なんだ

それも私なんだ

そういう『てい』にすることを知った

というよりも思い出したと言ったほうがいい

そこまでいって

責任がとれるということなんだと

責任をとることができるのは

僕の大前提にある

『大丈夫‼️』があるから

どんなことがあっても

『大丈夫‼️』なんだ

なんで大丈夫なの?と聞かれても

『大丈夫‼️』だから

としか言いようがない

では皆さん

支離滅裂な僕の人生の秘訣をご堪能いただいただろうか?

最後まで読んでいただいて

有難うございましたm(_ _)m

nao

11:43 | 記事 nao [コメント:0]