log

『施設長の恐れ』

2018年02月26日 | 未分類

ファイル 1154-1.jpeg

恐れていたことをやってみるって本当に怖い

どうなっちゃうんだろうってことが先に立つし

その起きてもいないことがあたかも起きてしまうかのような感覚

その時にはその恐怖がすでに起きている感覚

でも起きないんです^ ^

起きるかもしれないってことが起きているだけなんです^ ^

でも起きるんです^ ^

確実に恐れていたことが起きるんです^ ^

何が起きるかというと

恐れていたことをやるとその恐れていたことを恐れている人達はみんないなくなるんです

でもいなくならない人もいるんです

でもそのいなくなる方に自分がいたこともありました

そんなことの繰り返しの人生でしたし、人生です^ ^

腹も立ちました^ ^

嫉妬もしました^ ^

怖いですよ〜^ ^

自分の思ったことをやったり言ったりするって^ ^

怖いですよ〜^ ^

いい人でいた方がいいものね^ ^

でも怖いですよ〜^ ^

滅茶苦茶人生最高!^ ^

人間いつ死ぬかわからんのです^ ^

死んだ後のことを心配してお金を貯めてどないすんねん!

今を謳歌したらいいと思う今日この頃でした^ ^

※俳優 大杉漣さんのご冥福をお祈り申し上げます。

09:26 | 記事 nao [コメント:0]

『君へ』

2018年02月26日 | 未分類

ファイル 1153-1.jpeg

あの頃の気持ちが蘇る

びっくりするほど鮮明に

心臓の高鳴りと同時に身体の小刻みな震え

その時の感触香り温度そして色

心が締め付けられるような感じ

色々と考えましたけれど

大丈夫でした

同じくして起こる心地いいあきらめ

君はいつもそこにいてくれた

きっと大丈夫だよって

未来の君が語りかける

過去の君に

現在(いま)の君に

「自分を信じなさい」って

環境や現実は変わるけれども

そうやって

勇気と希望が生まれていた

だから一人じゃないって思えた

少なくとも君が僕を守っていると感じていた

生きていると変わるんです色々と

でもその時々の僕の気持ち一つで感じ方も変えられる

変化を恐れないで自分を信じる

それがいいみたい

君の声はちゃんと届いているよ

07:50 | 記事 nao [コメント:0]

『人と認知症のケアの十戒』

2018年02月25日 | 未分類

ファイル 1152-1.jpeg

犬の十戒を真似て、人と認知症のケアの十戒を創ってみました^ ^

1 時には話しかけて下さい。例え言葉がわからなくてもあなたの気持は伝わります。

2 どうか私を信じて下さい。それが私の幸せです。

3 どうか私もあなた達と同じように変化しているのです。私の変化を認めて下さい。

4 過去の私を懐かしむのはいいのですが、どうか今の私に押し付けないで下さい。

5 どうか今の私を認めて下さい。今この瞬間を私にできる限りの力で存在しようとしているだけです。

6 今、私の持てる力で表現しているだけです。別にわかってもらおうとしている訳ではありません。どうか苦しまないで下さい。

7 もし助けて下さるのなら、今の私を認め支えて下さい。

8 どうか幸せの眼差しで私を見て下さい。決して心の目を閉じないで下さい。

9 できることであれば、最後の旅立ちの時は傍にいて下さい。

10 そしてどうか忘れないで下さい。私があなたを愛していることを。

こんな『人と認知症のケアの十戒』なるものを作ってみました。

人間にとって一番の苦しみは、自分に嘘をつくことです。今日の自分を許してみて下さい。

ありがとうございました。

19:52 | 記事 nao [コメント:0]

『施設長の鏡の法則』

2018年02月25日 | 未分類

ファイル 1151-1.jpeg

相手が鏡なら

あの人凄いなら自分も凄い

あの人素敵なら自分も素敵

あの人は綺麗美しいなら自分も綺麗美しい

あの人に惚れ惚れするなら自分も惚れ惚れされる

と思う

だとすると

自分が相手に映っているだけ

自信持てよ〜自分^ ^

となると

自分は自分で誰かの鏡にもなっているということになる

自分の心が美しければ美しく映り

自分の心が醜ければ醜く映る

全ては自分が映し出されていると思えばいい

ドブネズミみたいに美しくなりたい

そう

写真には映らない美しさがあるから

08:29 | 記事 nao [コメント:0]

『施設長のフィロソフィー』

2018年02月23日 | 未分類

ファイル 1150-1.jpeg

振り返るとずっと逆をやってきた感じ

というより

別な捉え方や見方をしてやってきた

アウルを建てる前もじっくり考えて準備万端って言う感じよりも気づいたら行動していた

結局は自分がやりたいとか正しいとかいい状態でいたいとか

そんな感情を優先してきた

そんなことを追求してきた結果今こうなってんだろうと自覚している

世間では当たり前に流れていくような事も

疑ったり
否定たり
鵜呑みにしなかったり
逆らってきた

そのくせぞっこん惚れ込んだら、とことん真似をした

そうやって自分のやり方を紡ぎ出してきた

自分の人生におけるフィロソフィがあるとすれば

「自分の直感を信じて貫く」かな?

そうやって生きてきた

仕事を5回かえたり

結婚と離婚を経験したり

病気して死にかけたり

まぁ〜兎にも角にも色々あったよ

でもね今思うとだけど

その時々に僕を助けてくれる人が現れるんだ

これがまた不思議なんだけれどもそうなのね

だから今思うよ

僕は守られているって

もしここで僕がやっている事がうまくいかなくてやめなきゃなんなくなったとして

もし助けてくれる人が現れたら、もう少しやんなさいということで

もしそうでなかったとしたら、もうやめなさいってことだと思ってますよ

その時はもがき足掻くかもしれないけども、そうだと思って別な道を選ぶと思う

その時は

よくやったと自分に言える自分でいたいと思うな

よくやってるよ自分

よくやってるよみんな

そう思う

13:13 | 記事 nao [コメント:0]

『施設長の体験』

2018年02月23日 | 未分類

ファイル 1149-1.jpeg

先日、下河原さんにお願いしてVR認知症体験で樋口さんのインタビューを聴きました

樋口さんが言うように

乱視、近視や遠視と同じように幻視を捉えられる社会だといい

僕は老眼

目の状態が以前より変化してくるととても不便

その変化に応じて目の状態をアセスメントしてくれる専門職がいてどうするかを一緒に決めてもらえる

状態に合ったメガネ👓を作って状態に応じてメガネを使えるようにしてくれる

そのメガネを使って何度も何度も見え方を丁寧に調整してくれる

僕たちは時に眼科医であったり

時にメガネ屋さんであったりと同じ役目だと思う

普通に幻視が見える幻聴が聞こえる

本人にとっては何か目に見えない耳には聴こえない状態がベースとなって真理に見え聞こえる

まずはそこを純粋に認めるところから始まる

僕らはメガネ屋さんである

09:20 | 記事 nao [コメント:0]

『施設長のアドバイス』

2018年02月22日 | 未分類

ファイル 1148-1.jpeg

今となっては

もう何もやれることはないって思うこと

諦めかけたことや諦めてしまったこと

僕にはたくさんあった

でもね最後の最後までやれることはある

今はねそう思える

それはね

ただ在ること

それこそそこに存在していること

人間として生きていることは

大体のことは共通しているから

何でもいいから語りかけてごらん

視線を贈って微笑んでごらん

そこにただ存在してごらん

無表情な人に

まったく喋らない人に

いつも眉間に皺を寄せて怒っている人に

顔を合わせるたびに「帰ります」という人に

病院で抑制されている人に

今生命を全うしようとしている人に

じぶんの感情が癒されるような気持ちで

語りかけてごらん

例え自分の思うようにいかなくても大丈夫だから

自分を責めなくてもいいよ

自分を嫌わなくてもいいよ

あなたの存在の語りかけは必ず届いているから

神様に誓って真理だから

最後の最後にはうまくいくから

やってごらんよ

大丈夫だから

07:02 | 記事 nao [コメント:0]

『施設長の嘘』

2018年02月21日 | 未分類

ファイル 1147-1.jpeg

あのね

よく認知症の状態にある方へ「嘘」をつくことの善し悪しが話題にあがることがある

なんか嘘をついてる介護職が悪いかのような言い方をされることがある

そう言えば、パーソンなんとかケアとかにも嘘をついてはいけないとか書いてあったなぁ

例えば日本には「嘘も方便」とか言う諺まであるし、いいんだか悪いんだかよくわからん事がよく起きる

でもそれは

嘘をつかなくてもいい関係や状況や状態か
嘘をつかなければいけない関係や状況や状態か
そもそも「嘘」に対しての個々人の前提がそれぞれにどうかによっても違ってくると思う

別な見方をすると

嘘は人間の本能のひとつの姿でもあると思う

つまりは自分や何かを守らなければならない環境や状況や状態に置かれた時

人間は防衛本能って奴を繰り出すんじゃないかと思うんだ

嘘をつくか、つかないかが問題ではないし

嘘そのものが問題でもないと思うんだ

嘘が嘘だったりってこともある

何故かは僕にもわからないけれど

少なくとも僕は両親や今まで出会ってきた大人たちに

「嘘をついてはいけない」って言われて自分を育んだことは間違いないし、それが僕の前提にあるのも自覚している

そもそもどうして嘘をついてはいけないのかにも疑問を持ったことがない

もっと言うと自分自身に嘘をついてることの方がたくさんあるし

嫌になって罪悪感を抱くことだって今までにもたくさんあったしある

それは「嘘をついてはいけません」という前提を信じているからなんだ

だから僕はそこを疑う所から始まると思うんだ

つまりは

嘘をつかなくてはいけないような若しくは嘘をつかなくてもいいような環境や状況を創っていることとそもそも本人が持っている本質的な前提や状態によって変化することに目を向けることだと思うんだ

嘘をつくとかつかないは、あくまでも結果であって手法や手立てに過ぎない

つまり嘘をつくか、つかないかの議論は

嘘をつかなくてもいい、又は嘘をつかなければいけない全ての環境や状況や状態と本人の本質的な前提や状態を紡ぎ出す関係に左右されると思うんだ

さらに認知症の場合は、嘘をつかれる又は嘘をつかれ続けているその状態が放置されることで、その本人が何かを感じるを感じたから起こっていることだと言うことをわからないで起きている事態が不可解だと思うんだ

その関係というのは、直接的、間接的にはまったく関係がなく本人の中で感じてしまうことなんだ

だから僕はいつも思うんだ

本人不在の議論はいつまでたっても平行線で終わると・・・

僕たちはいつも客観的主観で議論している

本人はいつも蚊帳の外って場合が多いね

本人というかひとりの人間の本質的なベースがいつもどこかに置き去りにされているんだ

僕はいつもそこを疑いながら居るようにしているよ

だからいつまで経っても解れないし、逆に解ろうというスタンスというか関係から抜け出せないんだ

それは仕方がないと思っている

僕が認知症の状態になっても多分僕を解ってくれる人は何処にもいなくて寂しい想いをすると思うんだ

でも解ってくれる人ではなくて、解ろうとしてくれる人がひとりでも居てさえくれれば、少しは心癒される光がみえるだろうなぁと想像が出来るし

ましてや相手が嘘をつかなくてもいいような自分で居られると思う

僕のスタンスはそこだし、僕自身の老後の課題かもしれないな

そして

一番悩ましいのは

自分自身に嘘をついていることがどれだけあるかだろうと思うんだ

どうだい?

解ろうとしてくれるかい?

昨日から今日にかけて「嘘」についてずっと考えていたら頭が痛くなったよ(笑)

10:24 | 記事 nao [コメント:0]

『ものの見方捉え方』

2018年02月20日 | 未分類

ファイル 1146-1.jpeg

僕にある、先入観、固定観念が、先入観、固定観念というフィルターを通してみている

つまり僕のみえる世界は僕の知っている世界を通してみてるってわけね

まっさらな若しくは真っ白ななんにも影響されない客観性などどこにもないと感じるんだ

結論は

全てはみている人間の主観であるってね

全てがそうなんだ

世界ってそうやってそれぞれの主観を織り成して出来ている

そもそもアセスメントしてみんなでカンファレンスしてケアプランをつくるなんて

僕の本心としては心を閉ざしてしまう連続した出来事のひとつなんだけれども

法令遵守だからやるではあまりにもバカなので、だったら道具や仕組みに工夫をする事で僕たちの主観が育まれるように仕掛けようと思ったんだ

そうやって知らないうちに限りなく客観的(絶対に無理だけど)なものの見方や捉え方が高まるといいなと思ったんだ

だから道具や仕組みは大事だよ

アウルは記録の道具や記録の仕方の仕組みを工夫する事で、必然的に生活をベースに観ることや

一人ひとりに起きている出来事や変化に気づけるようなものにしてるんだ

それを続けていくとどうなると思う?

教育とか研修とかしなくたって自然とものの見方や捉え方が備わるんだ

あとは考え方をいろんな人の出来事を通して勝手に感じてゆくんだ

そう最終的に感じることが大事で感じることを通して感性が高まってゆくんだ

そのことをず〜〜〜〜〜っとやってるんだ

彼らは自分で自分を育んでいるよ

そんでもって欲を言えば、その道具や仕組みも、自分たちで考えて創造することが出来て、使えるようになるとなお良いと思うんだ

なぁそう思わないかい

最近事例検討だとか事例発表だとか流行っているようだけれども

まさしく大勢でいろんな経験のある人たちの考えや心が織りなされるから素敵なんだと思う

ただそこに本人の考えや心がどれだけ在るかが定かじゃないし、そもそも本人がいないところでなんやかんやもなんだかなぁと思うし嫌だなぁと感じる

時には研修と際して先駆者や有名人の話を聞く

どっかの有名人の話を聞くのは、その人の真似をするわけではなくて、自分だったらどうするかなって思考や心を巡らすためなんだ

だから自分たちで出来ることはまだまだたくさんあると思うんだ

仕事ってそういうことなんだと思う

だから諦めずにやってるよ

地道にね^ ^

08:28 | 記事 nao [コメント:0]

『施設長の夜勤経験』

2018年02月19日 | 未分類

ファイル 1145-1.jpeg

昔、グループホームの取り組みの際の夜勤をしていた頃、夜中に寝巻(浴衣)に腹巻姿でポーチを斜めがけにして起きてくるお婆さんがいました。
僕は「またか」とため息をついていました。
そのお婆さんは、僕を見かけると「仕事行ってくるから」と少し投げやりに言います。僕が「これから仕事ですか?」と改めて問い返すと「はい!」と強めに返事をします。さらに追い討ちをかけるように、「これから仕事って大変ですね」と声をかけると「バスガイドは大変なのよ!朝早くて!」と少し怒ったように答えてくれます。
そうなんです。彼女の仕事は「バスガイド」なんです。毎晩ではありませんが、今思うと多分何か不安な時に、ふとその時に戻るかのように、その時代に存在します。
僕は少し焦ったように「すみません。そう言えば、先程今日バスがストだという連絡が入っていて、伝えるように言われていて、伝えるのを忘れていました。すみません、僕のせいで、遅くなりました。すみません」と、今日運行のバスがストになったことと報告が遅れたことの謝罪を少し大袈裟に繰り返し謝ると「なんで早く言わないのさ!今度からちゃんとして下さいね。わかりました!」と、部屋へ向きを変えて戻って行くのです。また、少し経つと同じようなことが繰り返され、明け方には落ち着き少し横になり朝を迎えることになるのです。
僕に出来たことは、そこに存在して応じることしかありませんでした。
今であれば、日常生活で起きる様々な不安を引き起こす要因や誘引が紡ぎ出す何かを探り、そのことを生活をベースに共に整えていくのと同時に彼女の存在価値が高まるように支えることができますが、その時はその時に起きる彼女たちの世界を知ろう、解ろうとするのが精一杯で、何か専門的な支援などとは程遠く、彼女たちのその瞬間の時代に存在することしか出来ませんでした。
その不安と一緒に居る、そして僕らに出来ることは、朝を迎えた時に「おはよう」と何事もなかったかのように、笑って挨拶をすることしかないようです。
共に不安な一夜を過ごした後のご褒美でしょうか。
人が人と人との間で出来る最高のことだと今も思っています。

07:48 | 記事 nao [コメント:0]