川島旅館
豊富町にある川島旅館♨️
油の温泉♨️で有名らしいが、まったく知りませんでした(^_^;)
アトピーなど、皮膚疾患に有効だとかで、数日間泊まり込んで湯治をする人も少なくないらしい。
実際、油の匂いがするし、温泉♨️から上がると、油の幕ができるのか、ほんのりと油の匂いがする。その幕のお陰で、ぽっぽぽっぽをほてる感じが持続する。いい感じ^ ^👍
朝食は、これまたステキな雰囲気の今風の設計の食堂で、食欲をそそる色合いと盛り付け^ ^
さて、飛行機は飛ぶだろうか?
Naoto
2018年11月17日 | 未分類
川島旅館
豊富町にある川島旅館♨️
油の温泉♨️で有名らしいが、まったく知りませんでした(^_^;)
アトピーなど、皮膚疾患に有効だとかで、数日間泊まり込んで湯治をする人も少なくないらしい。
実際、油の匂いがするし、温泉♨️から上がると、油の幕ができるのか、ほんのりと油の匂いがする。その幕のお陰で、ぽっぽぽっぽをほてる感じが持続する。いい感じ^ ^👍
朝食は、これまたステキな雰囲気の今風の設計の食堂で、食欲をそそる色合いと盛り付け^ ^
さて、飛行機は飛ぶだろうか?
Naoto
2018年11月16日 | 未分類
嘘と本当
また長いです。
認知症の状態にある方に対して、
「嘘をついてはいけない」ということについて
昔、僕がまだ介護の現場にいた時に、一人のお婆さんが、寝間着に腹巻き姿、ポシェットを斜めがけにして、夜中に部屋から、悪い片方に足を引きずりながら、出てくるんです。毎晩ではなかったと記憶してるけど、忘れました。
その時に、「どうしました?」と尋ねると、「決まってるじゃない!」と少し怒り気味に返事が帰ってきました。
僕が「えっ!」って顔をすると、「会社に行くの」と仕方なさそうに言うのです。
「これから会社ですか?」と驚くと、「そうなのよ」と、今にもため息が出そうな感じの返事が帰ってきました。
「あの〜会社って、なんの会社・・・」と少し語尾を濁しながら返すと、「バスに乗るのさ!私ガイドだから」と言うではありませんか。
びっくりした僕は、そんな情報もアセスメントもなくて、少々困ってしまいましたが、これはこの世界で話を続けるしかないと判断して、彼女の話に乗りました。
僕が「これからだと大変ですね。まだ夜中ですし・・・」と言うと、「仕方ないじゃない、仕事なんだから」と。
外は土砂降りの雨☂️
彼女は、「どうしよう」と一言。この雨に中、どうやって行ったらいいか、どうしようと困っているらしく、僕は、「そうだ!」と、忘れていたことを思い出したかのように、「そう言えば先ほど、会社からお電話がありまして・・・」と、恐る恐る彼女の世界に存在しながら言うと、「なんだってさ」と返ってきたので、しめしめと思いながら、「土砂崩れが発生して、バスの運行はお休みだと伝えて下さいって言われていたのを忘れていました。ごめんなさい」と言ってみると、「あんた!早く言いなさいよ!」と少し安心したかのように怒った言い方で、お部屋に戻って行きました。この主張は、その晩何度か続きましたが、継続して同じ対応をしました。
こんなことが何度か起きましたが、ある時は「ストライキ」のせいにしたり、本人が納得する理由を見つけては安心へと導きました。
これは嘘です。明らかに嘘なんです。でも、彼女の主観的世界では本当のことなのです。
でもですね、僕が言いたいのは、この嘘が、私たち介護する側にとって、安心したいから、困ったことに付き合わされたくないから、業務が忙しいから、人がいないくて大変だからという理由だとしたらどうでしょう。
そのことが前提の嘘だとしたら本末転倒だと僕は思います。
ですから、そういう嘘はいけないという意味で、嘘をつくことは良くないと言いましたし、今でもそれは変わりありません。
それを額面通り、鵜呑みにする人がいるようです。違いますよ。
彼女たちが、安心して暮らし続けることができるか、僕たちの安心安全ではなく、彼女たちが主体的に安心を感じられるようにすることだと思いますが、如何ですか?
この話の本質は、嘘をつくことの善し悪しや、本当のことをいう言うことの善し悪しではありません。
さらに掘り下げてゆくと、そのバスガイドのお婆さんの本当の不安を見極められるかにあります。
僕たちが目にしている、お婆さんの行動や振る舞いなどの言動は、ダミーでしかありません。
皆さんのホームで生活している方々の中にも「家に帰りたい」と言う方がいらっしゃると思います。確かに、そこは自分の住み慣れた自宅ではありませんから、真っ当な主張だと思います。ですから、僕は「帰宅願望」とか「帰宅欲求」などと、あたかも問題、症状かのような表現の仕方はしません。
それらは、ダミーなのです。
彼らは、自分の身体も含めた、今置かれている状況や状態、抱えている不安やストレス、あらゆる人間関係、その有する能力や元々の性格や性分によって、別な表現の仕方をするのです。
ですから、夜中に起き出してバスに乗らなければならないと主張する彼女は、自分自身又は周囲に起きている不適切な状態を示している探シグナルでしかないのです。
つまり問題の本質は、今、見えている事だけではなく、それを引き出している隠された誘引や要因があるということです。
バスガイドの彼女の場合は、不定期に起こる便秘でした。もちろん、便秘が解消されると、夜中のその言動も解消されます。人間って不思議ですね。この仕組みが理解できると、認知症によって起きるであろう心理的行動は、かなり改善され心地良く暮らすことができるでしょう。
そこに目と意識と行動と感情を向けることが、僕たちの本来の仕事の一つです。
そして、更に更に掘り下げます。
一番に盲目になりやすい視点があります。それは、自分自身の周囲への影響です。
自分は間違いない、正論である、スタッフはできてない、自分の感性や人格を無条件でちやほやされているような人は、尚更盲目になりがちです。
つまり、一番アセスメントして、ケアプランを立てなければならないのは、自分自身であることを自覚していることが、一番大事です。
ちなみに、そういう人に限って気づけません。ある意味神かもしれませんね(笑)
あなた、大丈夫ですか?
Naoto
2018年11月15日 | 未分類
Facebookでフォローしている水野浩志氏のpostを読んでなるほどな〜と感じたので、皆さんにもご紹介しさせていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
よく、リーダーのポジションにいる人が、仕事が出来ない、やる気の無い下位層の人たちに対して、「アイツらはおかしい!」って怒ってるところをよく見ますが、おかしいのは、リーダーであるあなた方ですよ。
普通の人は、皆、仕事は出来ないものだし、仕事にやる気なんか無いのが当たり前。それが普通の人である、という世界の中で、あなたは、仕事も出来、仕事のやる気もある、「おかしな人」だから、リーダーになれたんですよ。
だから、おかしいのは、下位層の人たちじゃなくて、自分である、という自覚を持ち、下位層の人たちの能力や姿勢の方が、普通であり、当たり前なんだ、ってことを、先ず受け入れましょう。
で、そんな、普通で当たり前の人たちに対して、世間ズレしていて、おかしな自分が、どう関わりながら、チームで成果を出していくことが出来るのか、と考えないと、ずっと、チームメンバーにイライラさせられ続けられてしまいますよ。
繰り返して言います。おかしいのは、仕事も出来て、やる気も高い、あなたの方なんです。先ず、それを自覚しましょう。
そう考えることが出来れば、下位層のメンバーたちへの、新しい関わり方のアイデアが生まれてきますよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
僕もよくはわかりませんが、リーダー的存在の人こそ、自分自身をよく分析なさることをお勧め致します。
Naoto
2018年11月15日 | 未分類
Before I die
自分が「いい」と思ったことはやってきた
でも僕の「いい」は、別の人の「いい」とは違った
はじめ、自分の「いい」を前提に、別の人の間違いを探しては、指摘し、自分の正しさを押し付けていた
その度に衝突したし、僕の前から去っていったし、僕も去った
時を重ね、時を貯めて、時を経験し、時を感じるようになって
自分の「いい」だけが「いい」ことではないと学んだ
自分の「いい」を経験して、別の人の「いい」がわかった
だから
「いい」と思うことはしたほうがいいと思う
やらないで悔やむよりは
やって悔やんだほうがいい
やらないで悔やむということは思考の働き
つまりは妄想幻想の世界
やって悔やむということは実践の働き
つまりは現実の世界
人間うまくいかないほうが多い
うまくいくっていうことは
うまくいかないことの経験の連続の中に起こっている
うまくいくことを創り出したり、うまくいくことの現状は、うまくいかないこと、という素粒子の集まりということ
そりゃ〜うまくいくことに越したことはないが
ただそれだけのこと
うまくいくとか、いかないとか、本当はどうでもいいこと
そこに嘆き悲しみ嫉妬しても仕様がないし、仕方がない
僕らの多くはそこを経験する
その経験は大事なこと
そもそもこの世界に勝ち負けなどない
それぞれが存在してこの世界は成り立っている
僕らが一緒に仕事しているチームもおんなじ
だれかのやり方が「いい」わけではない
それぞれの「いい」が融合して醸し出される世界が、お互いの心地いいをさらに深める
さぁ、僕はどうしようかな?
さぁ、君はどうする?
話し合おうじゃないか!
何度も言うが
僕たちはパズルのピースである
一人一人 形は違うが
それぞれがとても重要な役割を持っている
自分の場所で誇らしく輝きなさい
それぞれの場所に収まった時
目指していた世界が完成する
そう信じて^ ^
僕が死ぬまえにしたいことでした^ ^
Naoto
2018年11月14日 | 未分類
魅力ある仕事として
どうしたらグループホームや介護の魅力を伝えることができるか?
ここを考えて、発信していきたい^ ^
それが本音です^ ^
少しでも、僕たちの仕事のイメージを変えたい^ ^
人材難とか、介護報酬とか、介護の質とか、虐待とか、災害対策とかetc、これ問題山積のように見えますが・・・
実は、これは単なるダミーです。
例えば、人材難の件で言えば、人手不足は問題の本質ではありません。問題の本質は別なところにあると思います。
僕たちがしている豊かな仕事である介護が、歪んだ形で世の中に伝わっている。逆に言うと、歪んで伝えてしまった、若しくは歪んで伝えてしまっている。そんな長年の結果ではないかと考えるからです。
現に、介護・福祉のデザインスクールで、共に考えているデザイナーさんに、介護や福祉のイメージを聞くと、汚いとか、大変だとか、その割には給料が安いとか、そんな暗〜いイメージしか持っていなんです。
例えば、排泄の支援ひとつとってみても、日常の暮らしをベースに、水の入りと出を把握して、一人ひとりの排泄感覚と間隔を見極め、その感覚と間隔に応じた配慮(CARE)をした声がけを、主体的に応じられるような、さりげない導きの所作でケアすることが、暮らしの自立に繋がることを伝えると、そこまで詳細且つ繊細な支援を知ると、言葉が出ないほどビックリされます。
さて、僕らは、どうやって自分たちの仕事の豊かさや魅力や専門性を伝えられるのか?
すでに、そのムーブメントは起こっています。
井の中の蛙にならないように、あらゆる世界、業界、職種の人たちと政(まつりごと)を治める人たちとの協働で、良質で魅力ある介護や福祉を発信してゆくことです。
そして、このことこそが国や国民の幸せと豊かさに繋がると経験してゆくことが大切ではないだろうか?
こうした考え方へと改めない限り、永遠と人手不足や人材難は、ダミーとして僕らの前に現れるでしょう。
人間の豊かさとはなんですか?
人間の幸せとはなんですか?
人間の愛とはなんですか?
これからの未来を共に語る大切なキーワードになると思います。
Naoto
2018年11月13日 | 未分類
グループホームの未来を共に語り合うステージ
グループホームの未来を共に語り合うステージ、場を創ることが僕の夢。
オールJapanで大同団結し、大連合、大同盟を築いて、グループホームの未来に向けて、知恵を出し合い、考えていける集まりになることを希望し、また、それぞれがそうなるよう努めることのできる場にすることが、最大の目標。
それぞれの地域で、グループホームという認知症の状態にある方々を支える共通の仕組みを通して、その地域で暮らす人たちや、CAREする人たちに夢ある希望ある世界を次の世代に繋げていきたい。
その継続した実現に向けての第一歩が、昨日の集まりであると思っています。
これからです。
アイデアは、それぞれに沢山あると思います。
これから、ひとつひとつ時を重ねて築き上げていく。
そのための第一歩。
やっと一歩、前に歩き出したんです。
「これからがこれまでを創る」
僕はそう信じて、この活動に参加させていただきます。
僕たちはパズルのピースである
一人一人 形は違うが
それぞれがとても重要な役割を持っている
自分の場所で誇らしく輝きなさい
それぞれの場所に収まった時
目指していた世界が完成する
そう信じて^ ^
Naoto
2018年11月12日 | 未分類
認知症グループホームの未来を語る会
平成8年から、グループホームの仕組みの誕生を夢見て取り組んで、はや22年になります。
それぞれに想いがあって、日々の暮らしを重ねてきたことを思うと、なんか感慨深いものがあります。
少しでも、グループホームという仕組みやそこでの生活が豊かで心地いいものとなるように、それぞれに様々に取り組んできました。
その間、それぞれの想いの狭間で困惑した日々もあったでしょう。
これまで事あるごとに、もうそろそろひとつになることを考えてもいいのではないかと「認知症対応型共同生活(グループホーム)」という名のもとに、同盟を結び、ひとつの協議体を創ることを提案してきました。
こうして公に声をあげ、それぞれの持つ能力、考え方、取り組み、人財を、オールJapanで結集し、行動に起こす時ではないでしょうか?
そんな意味も込めまして、公益社団法人組織でもある、日本認知症グループホーム協会の河崎会長に呼びかけていただき、本日11月12日(月曜日)に、「認知症グループホームの未来を語る会」を開催することになりました。
基調講演には、厚生労働省老健局長 大島一博 氏 に「グループホームの役割と期待すること」と題しての講演もあり、この集まりの開催は、僕個人にとっても、公人としても、とても嬉しいことで、念願だった最大の機会となりそうです。
本日、この集まりにご賛同、ご参加いただいた多くの仲間の皆様と、これからのグループホームの在り方を語り合える場になることを願っています。
ちなみに、一般社団法人北海道認知症グループホーム協会(会員450事業所)は、この集まりに賛同し、参加致します。
以下に、今回の集まりの目的を記しておきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「認知症グループホームの未来を共に語る会」
目的
認知症グループホームを巡る現下の情勢のなかで、その役割、社会的な期待に応えるために、認知症グループホーム関係団体が一堂に集い、「認知症グループホーム」の今日的な課題について意見交換を行い、未来をどう切り拓くのかを語り合う。
また、この会の開催を契機に、関係団体の一致できる課題(人材の確保、災害時の協働、調査研究の共同実施及び介護報酬の改定など)の解決に向けて、認知症グループホームに係る政策提言等を国などに行う。
これらの事を通じて、認知症の人の生活やグループホームケアの質の向上に寄与できるように、グループホームに関する社会的使命や方向性などの認識を一致させながら、共に連携することを目的とする。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まずは、オールJapanで大同団結し、大連合、大同盟を築いて、今、山積する課題に知恵を出し合い、考えていける集まりになることを希望しますし、そうなるよう努めます。
腐らず、凹まず、また、喧々諤々と議論できる仲間というステージを創って、それぞれの地域で暮らす人たちや、そこでCAREする人たちに夢ある希望ある世界を次の世代に繋げていきたいと思います。
行って参ります^ ^🤚
Naoto
2018年11月11日 | 未分類
平成30年度厚生労働省補助事業として行われています、これからの介護・福祉の仕事を考えるデザインスクールに参加して、もう5回目になりました。
今日は、北海道大学で行われました。
私たちは最後まで楽しい人生を過ごしたいし、大切な人にもそんな人生を送ってもらいたいと思っています。そういう人たちの人生を支える「介護・福祉の現場」はユニークで、創意工夫とユーモアの宝庫です。「まだまだやれることはある」と思っている人は多いはず。
「介護・福祉のデザインスクール」では、介護・福祉にある楽しさ、技術、哲学、実行力を実際の現場で体験し、資源の発見やよりよくする方法を共有し、介護・福祉の現場をさらに魅力的な職場にするためのプロジェクトに取り組みます。
「介護のこれからって何だろう?」その答えをみんなで探しに来ませんか?
の趣旨の元、集まった仲間たちで、沢山のアイデアを出し合い、話し合い、悩み合い、笑い合い、まとめ合い、考えています。
僕にとっては、とても刺激のあるプロジェクトであり、最後まで関わって結果を出していきたいと思います。
実に面白い^ ^
Naoto
2018年11月11日 | 未分類
虐待、不適切なケアとか
これ他人事ではないんです。
人間である以上、いつ自分がそうしてしまうかもしれないということ。
人には「べき」がある。
この「べき」が、時に強い意志と情熱を持って目標に向かう道しるべにもなるが、時にこの「べき」が、自分の考えていることとは違った方向へと導く時もある。
僕の経験した例をあげると、夜眠れないお婆さんがいました。彼女は、何度も何度も起きてきます。
すると、僕の「べき」が発令します。「夜は寝るべき」とか、「睡眠はとるべき」とか。
お婆さんが起きてくる事実とその背景に思いを巡らせたり、寄せたりせずに、僕の「べき」が発動してお婆さんを何とかして寝かせようとします。
さらに、今見えている「寝ない」という事実は、自分のケアの評価にも繋がるとしたら・・・、そう考えもします。
でも、お婆さんは寝ない(笑)
つまり、お婆さんは、お婆さんで別な「べき」を持ってる訳です。
ここで起きる現象が「べき」の戦いです。
自分の抱く「べき」とは正反対に起きる出来事に応じることができない自分との戦いが始まるんです(笑)
「睡眠は大事」「昼夜逆転になってしまう」とか、一見、お婆さんのことを思いやっているように思えますが、実は錯覚。
お婆さんを思いやっているように見せて、ただ自分の不安を解消しようとしているだけ。お婆さんを思いやるのはカモフラージュ。
僕は、こんな気持ちを沢山抱いたし、経験してきました。
ダメな介護職の典型例でしょうね。これを放置していると、不適切なケアや虐待に繋がるのでしょうね。
お婆さんにしてみたら、「寝ない」じゃなくて、「寝れない」「寝ていられない」といった感じなんでしょうね。
つまり、寝る寝ないは、結果やひとつにシグナルや状態であって、本質的な別の違った理由や訳や要因や誘引を抱いているのがほとんどでしょう。
それは、不安だと眠れない人がいるように、僕らにも同じことが起こっています。
そのお婆さんの持つ「不安」を探り、出来るだけそこに添うか、そこを解消して、別の安心や心地好さに繋げるようにする、柔らかさがあるといいなというのが、僕の結論です。
つまり、自分の「べき」を知っておくと、少し冷静に出来事に応じることが出来ると思うんです。つまり備えるということです。
人は大体自分の「べき」つまり自分の前提を優先しようと働きかけますから、理解を超えた出来事や言動が目の前で繰り返されると、少しパニックになり、嫌な気持ちになります。
人によっては腹を立て、イライラした気持ちになるでしょう。僕はそんな経験をしました。
思ったら思ったで、今度は自分を責め出して、どうしてそんな思いを抱くんだ、介護職として専門職として、抱いてはいけない感情だろ!と自分を責め出します。
これで、さらに自分を苦しめることになります。
僕らも、ひとりの人間ですが、こんな行為や言葉や関わりは虐待や不適切な行為に当てはまりますなんて、さらに研修を重ねます。
なんだか、ドンドンと介護職や専門職を追い詰めているようにも思えます。
僕の提案は、まずは、そう思ってはいけないという自分責めをやめるということです。
誰しもが、大なり小なり抱く当たり前な感情にダメ出しするのはやめて、少なくとも自分は認めようという話です。
そこから落ち着いて自分や仲間たちと語り合える関係にしてゆくことです。
どうせ研修をするのなら、誰かの虐待や不適切なケアを指摘して、検討することではなくて、これから彼らや僕たちが心地良く生きていくためには、どうしたらいいのかを考えることだと思うんです。
夜眠れずに起きてくるのはどうしてなんだろう?
どうしたら安眠できるだろう?
みんなそんな時どうしてる?
僕は、そんな時とっても焦ってどうしていいかわからなくなって、無理やり寝かせようとしちゃうんだけど、なんかいい関わり方ってある?
とか、お互いに出来ないことを指摘したり、指導したりするのではなくて、語り合う関係を築けるといいなと思っています。
このお婆さんにとって良質なCAREとケアは何かを最優先に、考えることの出来る研修というか、職場創りにした方がいいと思います。
その仕組みをどうやって創造(クリエイト)してゆくか、そして、その仕組みをどうやって動かし生かすかをみんなで考えるワークをするとか、そんなことをやってみたなと考えています。
夜眠れずに起きてくるお婆さん
僕は、アウルのスタッフに、そんな時どうしてる?って聞いた事があります。
すると彼らは
「なんか心配な事でもあったんだと思いますよ。そんな話も聴きながら牛乳でも温めて飲みますか?って聞いて、出して飲んでもらってます。したら、自然と眠くなるようです」って^ ^
僕は嬉しくなりましたし、彼らを誇りに思います^ ^
そんな一考察を、後志老施協の研修でお話をしてきました。
Naoto
2018年11月10日 | 未分類
やりたいかやりたくないか
あのね、この間、旭川で行なっていた認知症介護実践リーダー研修の最後の日のまとめの会で、皆さんが自分のホームで取り組んだ課題を発表してもらったんですね。
21人の方の発表を聞いて色んなことを沢山感じたんですけど、その中でですね、一番感じたことはですね、自施設実習の協力者を通して自分の在り方を再認識していた方がほとんどだったんです。
これ、結構研修のねらいにビンゴ!って感じだなって思ったのね。
ここに気づける人とそうでない人で、随分とこの後の自分の仕事に影響するんだろうなと感じました。
あとね、これは、何気にお願いしたんですけど、あまり皆さん意識していないかもしれないですけど、とっても大事なことなんで。
あのね、お爺さん、お婆さんの「出来ること」「出来ないこと」を見極めるってよく言うじゃないですか。
その「出来ること」「出来ないこと」の見極めも大事なんだけど、「やりたいこと」「やりたくないこと」という視点も見極めに入れてねって伝えたの。
どうしても、僕らは出来るか出来ないかで判断する傾向にあるから、そもそも出来る出来ないを左右している前提の、やりたいかやりたくないかをCAREして欲しいなって思う。
どうか、そこも自分の生き方に加えて欲しいなと思って、忘れないでいて下さいね。
出来てもやりたくなかったら、なんも面白くもなんともないからね。
もちろん、出来ないしやりたくないのは最悪だね。
それよりも、出来ないけどやりたいことの方がいいよね^ ^
一番いいのは、出来るしやりたいがいいけどね👍
僕は、出来るか出来ないかよりも、やりたいかやりたくないかで人生決めてきたね^ ^👍
これからもそうすると思う^ ^
どうぞ、よろしくお願いします🙏
Naoto