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【隣の話】

2019年07月15日 | 未分類

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羽田空港でお昼ご飯^ ^

隣の席と超近い!
連れのような近さ(^_^;)

なので話がもれもれ
なので聞きたくなくても聞こえてくる
もうそうなると聞きたくなる(笑)

さらにその会話で
“伊達”だとか
“室蘭”だとか
“登別”だとかの
知った若しくは同じ地元じゃん
という地名がポンポン出てくると
なおさらである
もう耳がダンボ状態👂

さらにさらに
“ミヤザキさん”という
固有名詞まで出てくると
もしかして俺か!と思ったが
どうやら違うらしい(^_^;)

何度も出てくるミヤザキさん!
話によると
ミヤザキさんは
なんか悪者らしい!

ミヤザキさんに対する不平不満が炸裂している(^_^;)

そうなると
なんか知らんけども
どうも居づらい
なまら居づらい
自分のことではないが居づらい
まったく関係ないのに
なんか悲しくなる
しかし
悲しさとワクワクが混同する
興味津々になるこの複雑な心境に
正直ワクワクしている自分がいる^ ^

“人の口に戸は立てられない”
“壁に耳あり障子に目あり”とは
よく言ったものだ^ ^

Nao

12:51 | 記事 nao [コメント:0]

【帰宅願望に関する一考察】

2019年07月04日 | 未分類

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もうさ
帰宅願望とか帰宅欲求とか言うのやめない?
現場ではその対応をどうしようかと話し合う
それってさ
そこにいる意味を感じてないからでしょ
若しくは帰りたいと思っているところに存在の意味を見出している時でしょ
したらさ
ここにいる意味を存在として感じられるように
若しくは帰りたいと思っているところよりもというか
そこよりもここに居ようかと思えるような存在価値を
その人が自ら感じられるようなところにしなきゃ
だから環境を変えなきゃとかって考えたりするんでしょ
何で環境を変えなきゃならないのかの哲学がなきゃ
まったく意味ないよね
誰も好き好んで居たくもないところに居たくないし,居る意味のないところに居ようと思う?
もうやめようや
まずは「哲学のない何かのせい」はやめようや
あっ!言っとくけど
誰かが悪いって言ってんじゃないよ誰もぜんぜん悪くないんだ
ただ知らないってだけさ
まずは
あなたの存在を大切に思っているよというメッセージを送り続けようや
何かを伝える時にさ
その人の視界に入って
目線の高さを気にして
視線を取りにいってる?
それだけでも人は変わるよ
だって
自分が存在してるんだって
相手との関わりで自分の存在価値を見出す生き物だからね
そもそも帰宅願望だとか帰宅欲求とか言ってるようなら
それすらやってないべな
まずはやってご覧よ
みんながやらんといけないぜ
誰か一人じゃダメだぜ
「あなたは大切な存在である」というメッセージを送り続けようや
したらさ認知症のほとんどの問題はどっかに吹っ飛んじゃうぜ
虐待や身体拘束もなくなるぜ
みんなでやろうや^ ^

Nao

10:17 | 記事 nao [コメント:0]

【ユマニチュードについて】

2019年07月02日 | 未分類

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先月の29日,旭川でイブ・ジネストさん,本田美和子先生とお逢いした.

29日の研修会で印象に残ったことがいくつかあるので記しておきたいと思った

ひとつは
やはりコミュニケーションは人間関係の基本であること

さらにそのコミュニケーションの最大の目的はひととひととの関係性と繋がりを築くためにあるものということだ

何をするにも大切なことは信頼関係があるかどうかに尽きる

ユマニチュードの凄いところは,ここの哲学を言語化し形にしていることだ

僕たち介護の現場の人たちは,ひとが生まれた瞬間から行われている行為が基本ベースを言語化できていないし、言語化できていたとしてもバラバラであるところにある

そのブレない哲学がベースにあることはユマニチュードの強みだろう

ふたつめは
スイッチは常に自分の中にあるということ

変革のスイッチは,決して相手にあるのではなく,こちら側にあるのだということ

相手を変えよう
相手が変われば
何かのせい
誰かのせいにしがちだが

自分が変わらなければ何も変わらないということが考え方を支えていると感じた

自分が変われば 相手が変わる
全ての根源はここにある

みっつめは
Drの処方が薬ではなく,コミュニケーションになるといい

彼らに処方されている薬が,薬剤ではなく,コミュニケーションそのものとして,そのことが処方箋に書かさる時代になると素敵だ

この世のほとんどの病気は,薬では治すことができないとすれば,自分自身の中で起こる自然治癒力を高める処方が,当たり前のDrの処方となって,そこを看護する,介護する人たちの崇高な仕事となると,世の中はさらに豊かになるだろう

ユマニチュードをさらに掘り下げ,少しでもその本質に近づき,僕らが今まで行ってきた認知症の状態にある方々のCAREとケアに役立てていきたい

長くなり誠に恐縮だが最後に,僕ら認知症の状態にある方々のCAREとケアに携わっているひととして、目指すところは,ひととひととの関係性を築く又は繋がることが最大の到達点であり,その底辺に脈々と流れている一番大事な哲学は『あなたの存在を大切に想っていることを伝える』ことであることを忘れてはいけない

皆さん
ありがとうございました.
今日は早速入門編から勉強しています^ ^🤚❣️

Nao

17:18 | 記事 nao [コメント:0]

『体操教室の一考察』

2019年06月27日 | 未分類

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ラジオ体操ではないが,皆さん何やらカードを持って参加している.
この日は,サ高住,小規模多機能合同の「体操教室」の日だ.

毎回大勢の参加者で溢れるくらいだ.
タオルを使ってのストレッチとか色々とやる.
インストラクターは理学療法士.
理にかなった体操に参加者も満足気^ ^

昔,風船バレーというレクというか,そんなのが流行った時があった.
当時デイサービスの生活指導員だった僕.
天邪鬼な僕は,みんながしていることの反対のことをするタイプ.
しかし,やってみると面白いのだ.
職員同士でデモンストレーションをやって,お爺さんお婆さんに観戦してもらい,その機運を高めるために工夫したことを思い出す.

幼稚なプログラムとか,こちら側の一方的なレクの押し付けだとか,「仕方がないからやってやってる」とか,そんな話をよく聞くが,なんかおかしいと思う.

確かにやる側としては,選択肢の提示だけでいい.
無理にやらせる必要はない.
しかしだ,如何に「やろうかな」とか「やりたい」とか「仕方ねぇなぁ〜」と思わせるような関わり方やそそりが僕らの専門性でもあると思うので,とても意味深い.

風船バレーは単なる一つの道具.
風船バレーが悪いわけではない.
風船バレーを如何に料理するかが問われているだけだ.

何度も言うが,風船バレーが悪いわけではない.
いろんな意味で,あれは無意識的に,人間のとてもいい反応を引き出してくれると僕は思っている.

風船バレーをやりたくなければそれもあり!
風船バレーをやらないから問題な人になっているとすれば,それこそおかしな話である.
その人のニーズは何かを探り続けることのきっかけになるという,マネジメントの深さがそこにある.

結局は,自分がどうしたいかを探り実現して行くことだろう.
先日小規模多機能を利用されている男性の前で,皆さんの手作りの輪投げゲームをやってみせると,
「俺はそんなのやらねぇ!」と一言
「やってみますか?」と尋ねた訳でもなのに(笑)
別な意味で関心を寄せているのだと感じた.
凄いと思った.

彼がどのように生きてきたのか
とても興味がわいた瞬間だった.

いずれにせよやっているプログラムが悪者になりがちだが,それは全く本末転倒であることを言いたい.
使い手次第だということを肝に銘じたい.

ちなみにサ高住では,ポイントカードなるものを発行,配布している.
体操や各種イベントなどに参加した場合に,色々と景品がもらえる仕組みだ.
それも一つの動機になる.

何はともあれ参加することに意義があり,参加しないと意思表示できることにも意味がある.

どちらでももOKなのだ‼️
そこからが,僕らの仕事の発揮どころなのだ^ ^🤚

Nao

05:29 | 記事 nao [コメント:0]

【コンニャク】

2019年06月25日 | 未分類

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私の大好きなドラマの主人公のセリフです

『コンニャクはコンニャク芋から出来ています.その芋は3年もかけて育てます.種芋を植えっぱなしではなくて,土の中で凍らないように秋には種芋を掘り起こして,一つひとつ新聞紙で包んで十三度以下にならないように倉庫で保管する.それを繰り返して,やっと大きくなったその芋には,シュウ酸カルシウムという強烈なエグ味が含まれているので,そのまま食べられません。石灰を混ぜることでエグ味を取り除き,その芋からは想像できないようなコンニャクという食べ物になるんです.コンニャクだけを見ているとその偉大さは気づきませんが、コンニャクのないおでんはおでんと言えないし、シラタキのないすき焼きはすき焼きとは言えません.存在を無くした時にこそその存在感を発揮する本当に偉大な食べ物です.ありがとうございます.
こんなに作るのが面倒な食べ物いつ絶滅してもおかしくなかったはずです.なのにどうしてコンニャクは千年以上も絶滅せずに存在してるのでしょうか.謎です.』

要は

存在をなくしたとき
その存在感がわかる

ということです^ ^
コンニャクから学びました^ ^

Nao

07:39 | 記事 nao [コメント:0]

【僕らは沢山のお陰という奇跡の繋がりで出来ている】

2019年06月24日 | 未分類

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おはようございます.

突然ですが,ふと思ったのですが,今の自分が在るのは,あの人やあの時のお陰だなと感じる時ってありませんか?

僕はあります.そう考えると、沢山のお陰の繋がりで出来ていると感じられます.

例えば,僕がこの業界に入るきっかけは,大学の同級生が特別養護老人ホームの生活指導員だったこと,当時僕が結婚式場の営業マンだったこと,僕が彼を頼って営業に行ったこと,ですが,そもそも二人がその大学に行かなかったら、二人は出逢わなかったし,その沢山のお陰の繋がりで今があるからです.

つまり,今まで出逢ってきた人やものや考え方などのお陰で,自分は出来ているということになります.

そして,その確率を考えると,すべての「お陰」は「奇跡」です.僕がこの世界に存在する確率を考えただけでも,何億という精子の中から生まれてくる訳ですから,凄いことです.だから「お陰」に「様」「さん」をつけて,「お陰様」とか「おかげさん」と呼ぶんでしょうね.

すべてが「お陰様」という奇跡の繋がりで出来ていると考えらると,もう感謝しかないですね.

そう考えると,そう簡単には争いは起こらないはずなんですけど,まずは自分との争いを早く終わらせ仲良くすることでしょうか.

Nao

11:18 | 記事 nao [コメント:0]

【自分を活かしきる】

2019年06月20日 | 未分類

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僕の大好きなドラマの中に出てくる生物学者の教授のセリフです^ ^🤚❣️
とてもステキなのでどうぞ🤚

『やりたいことを探すのはいいけど、そんなもの簡単に見つからない。見つかるかどうかもわからないものを探して、自分の人生ちゃんと考えてる気になったり、逆にやりたいことが見つからない自分は、ダメなんだって責めたりする人が、いるかもしれない。なるほどって思ったよ。どうすればいいかな?こう考えるのはどうかな。自分や自分の周りにある考えや物をどう活かしきるか。例えば、アイスの木のスプーン。普通はゴミだよね。あれをどう活かすか、フィールドワークでは、ちょっとしたことに役に立つ。タネや苗を植えた時の目印にしたり、魚釣りの浮きに使ったりできる。スプーンはスプーンのままで、他の何かにならなくても,いろいろと活かされる。スプーンが他のものと比べて,何ができるとか,できないとかじゃない。ただそのものを活かしきること。』

なるほどな、と思ったね^ ^🤚

Nao

19:31 | 記事 nao [コメント:0]

【CAREの感性(一つの考察)】

2019年06月18日 | 未分類

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「ホームの利用者さんが,ご近所のおばさんに連れられて帰ってきました」と報告があった。僕は、3つの意味で良かったと思う。1つは、利用者さんが無事だったこと。もう1つは、地域の有難みがわかったということ。さらにもう1つは、CAREの感性をどう磨いてゆくかを考えるいい機会であるということ。誰が悪いわけでもなんでもない。外に行くことは何ら問題ではない。むしろ自由でいい。考えるいい機会をいただいている。ただ大事なことは,僕らが気づいていることだと思う。つまりCAREの感性。気がついているだけでいい。状況にもよりますが、必要に応じて声をかけるといい。では,気がついているためにどうするか?このことで監視や管理の名のもとの見守りになると、本末転倒。それでは,環境の死角を多くした意味がまったく生かされていない。一度アウルをご覧いただいた方は解ると思いますが、アウルの全ての介護保険事業所(グループホーム・デイ・小規模多機能)に共通しているのは,それぞれに干渉されないで済むような設計,環境,佇まいになっている。この環境は,知らんうちに自らのCAREの感性も磨いてくれるようになっている。知らんうちに気がついたら、最強なCARE感性が身についていることになっている。本人は普通なことだから、凄いとは感じていない。僕からみたら凄いことである。さらに大事なのは、他のスタッフにも気にかけることだ。今何をしているのか、そのことで自分は今どう動き、どこの視界を保つのかを気にかけて行っているか。同時に自分の立ち位置は?と考えられるかが大事。それは常に動くから容易なことではない。そもそも全部が視覚で捉えられる環境が個々の感性を鈍らせる。アウルは、そこを乗り越えチームを創ってきた。新規事業所の通る道。自分の意識と立ち位置と、その位置で関心をどこに置くかが問われる。30年関わってきたが、そこは敏感になる。それぞれが関心を寄せ合うチームになると最強である。彼らの安心安全は、保証されるだろう。それは一朝一夕にはいかない。日々の時と失敗の繰り返しから、どう捉えるかが問われる。日々生活暮らしの実践の積み重ね、時を貯めるから感じるものだろう。

Nao

07:05 | 記事 nao [コメント:0]

【一人称のけあについて】

2019年06月17日 | 未分類

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おはようございます☀

いやいや
一人称のCAREって
私が私を支える力(CAREとケア)のことだよね

今思いついたんだけど
「CARE」と「ケア」の意味が異なるから
使うときとってもめんどくさいので
CAREとケアを総称して『けあ』にしない?

自問自答は続きます

Nao

08:40 | 記事 nao [コメント:0]

【おはようございます】

2019年06月16日 | 未分類

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ドラマの受け売りですが

嬉しいとか
悲しいとか
楽しいとか
切ないとか
イライラするとか
etc

人の気持ちや感情を
言葉にした人って
凄くね

ほんとだって思った

光を大きくしたら
嫌なことだって入ってくるさ
それも光
ぜ〜んぶ包み込んじゃえ
ぜ〜んぶがお陰様
あなたのお陰で僕が居る
そう思えるといいね
そう思うといいね

Nao

11:42 | 記事 nao [コメント:0]