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『正負の法則』

2018年03月14日 | 未分類

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「正負の法則」って聞いたことありますか?

当にその通りのことが起こります。
良いことがあると、その後そうでないことが起こる。

正負は循環するのか?
僕の中での理解は違う。

つまり、循環や廻るとか、繰り返すという理解ではなくて、全てはその瞬間、同時に起こっているという理解です^ ^

で、その善し悪しの判断は、そう単純ではないです。

兎に角、正負や善悪はどちらか一方だけでは存在できず、必ず一緒。

ということは、それはなくならないということ。なくならないから、安心。正負や善悪を大きくするも小さくするも、心の在り方ひとつ。

今やるべきことをやる。それだけです。すると、いつの間にか「大丈夫」が来る。

「神のはからい」は、多様性に富んでいるから面白い。

07:50 | 記事 nao [コメント:0]

『どうせ=やっぱりの法則の証明』

2018年03月12日 | 未分類

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人材不足とか、人がいないとか、人が来ないとか、そう言うのを僕は辞めにしました。

そもそも「人材」などと、人を材料のように呼ぶのもどうかと思います。僕は「人財」と表現します。

さて、なぜにそう言わないというか、意識しないようにしたかというと、なんだか自分たちでその状況を引き寄せている感じがするからです。

ここにも「どうせ=やっぱり」の法則が影響していると思います。

「どうせ」介護は、大変な仕事だから人なんか来ないって言う観念が、「やっぱり」来ないという現実を生んでいるような気がします。

では、どうしたらいいのか?
「どうせ=やっぱり」の法則を使うのであれば、真逆に意識して使うようにしたらいいのです。

「どうせ」介護は素晴らしい仕事だから、ほら!「やっぱり」人が来るでしょう、人が集まりすぎて困ってるべさ、と言う現実を引き寄せることになるのです。

だからもう無意識のネガティブキャンペーンは止めにしました。

そうでないと

今度は、人が来ないことを理由に、色んなことが成されなくなるし、昔のような介護に戻ってしまうと思っているのは僕だけでしょうか?

現にすでにそうなっている所もあるように聞いています。

そうなると、せっかくの人財が疲弊して、辞めてしまうと言う負のスパイラルが生まれているのです。

制度や仕組みで言うと、ロボット活用の推進をいいことに、人財の解消のため、管理や監視の仕組みが構築されようとしています。環境は、使い手の意識でいかようにも変化すると言うことを、僕たちはすでに過去の歴史から学んでいます。

この国は昔、回廊式の歴史を踏まえて認知症施策の見直しを認め、新たな制度の構築に挑んできました。

本当に、これでいいのでしょうか?

これは僕たち国民の課題です。国民一人ひとりが真剣に考えなければならない時期に来ていると思います。

歴史は繰り返されるのでしょうか?

08:15 | 記事 nao [コメント:0]

『介護する人をケアする大切さ』

2018年03月12日 | 未分類

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昭和63年7月、僕は介護に世界に飛び込みました。あれから、かれこれ30年になります。

その間、順風満帆でもなく、色んな壁があり、乗り越えたり、横からすり抜けたりしながら、その都度あらゆる感情を抱きましたが、チームや仲間たちと話し合い、お互いに支え合って解決してきました。

研修に参加しては、自分の知識や意識やスキルを高めていきました。でも、いつも感じていたことでしたが、僕たちがケアされる事はまずありませんでした。それは、自分でケアするしかありませんでした。

そこに、虐待や不適切なケアの本質や前提が隠されているのではないかと僕は考えています。

逆に僕たちこそケアが必要な人たちではないかと、いつもそう感じていました。

ですから、これからの僕の役目は「認知症」の話や「介護」の話もとても大切ですが、これだけ伝える人も増え、ましてやご本人さんが声を出し伝え、書籍まで出る時代になりました。様々な研修や講演会が盛んに行われていますので、そこはお任せすることにして、僕は「介護する人をケアする」を重要なテーマとして、これからも継続して伝えていくことが大切だと思いました。

つまりケアされるケアがケアされる良きスパイラルを創造していくことが大切だと思うのです。

介護にあたる人が、ケアされる業界や世の中にしていかなくてはいけない、そこに意識が流れるようになると、この業界の質はさらに高まることでしょう。

この仕事は、心も身体も魂も満全に活かされる、人間性溢れる人間専門職です。滅茶苦茶な英語ですが、ヒューマンプロフェッショナルです。誇りある介護師を目指して、将来希望の持てる職や仕事になるように育んでいけたらと考えています。

08:12 | 記事 nao [コメント:0]

『作詩 帰りたい』

2018年03月12日 | 未分類

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詩を創りました^ ^良かったら読んで下さい^ ^🐈

「帰りたい」

あのね「帰りたい」って言うでしょ。
誰もが「帰りたい」と思っているかは、わからないけれども、「帰るところ」があって、そこへ「帰る」の。

でも、ここにいる私たちは「帰りたい」は山々なんだけれども、「帰れない」の。
「帰れない」ことも薄々感じてるの。
「帰れない」けど「帰りたい」の。

例えば、愛する人に一目でいいから会いたいの。
一言でいいから声が聴きたいの。

まずはその気持ちをわかって欲しいの。
みんな「帰りたい」の。
でも「帰れない」の。

人は本当の気持ちを言わないの。

「帰りたい」けれども「帰れない」現実に押し潰されそうな感じがして、どうして「帰れない」のかがわからくて不安なの。

その私の気持ちをわかってもらいたいの。
私の本当の気持ちを認めてもらえなくて悲しいの。

そう言っているだけなの。
そういう人もいるの。

聴いてあげて。
心から聴いてあげて。

「帰りたい」気持ちと、「帰りたくなる」私の周りの私の扱いに気づいて欲しいだけなの。

洗濯物をたたむことで誤魔化さないで。
料理をつくることで誤魔化さないで。
レクや療法をして誤魔化さないで。
ドライブや買い物で誤魔化さないで。
私の扱いであなたたちがケンカしないで。

「帰りたい」気持ちの裏に耳を傾けて欲しいだけなの。
「わかりました」と一言だけでいいから。
まずは「わかりました」と。

その気持ちをわかって欲しいの。
ただそれだけでいいの。
わかって欲しいだけなの。

そう僕には感じる。

06:45 | 記事 nao [コメント:0]

『幸せは自分の内にある』

2018年03月11日 | 未分類

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今回は長いです^ ^🐈

僕の話を聴いてくれたことのある人は、信じられないと思いますが、つい最近まで、研修会や講演会で僕が気になる人(目をつむっている人、寝ている人、笑わない人、反応のない人、腕を組んでいる人、第一印象が悪い人、勝手にこの人嫌だなぁと感じる人など)をつい見つけてしまうという性癖?がありました。

これは、とても一方的で、僕にそう思われてしまった人にとっては、はなはだ迷惑な話です。

つまりどう言うことかというと、自分の話に自信がなかったりすると、どうせ大したことない人間であるということを証明するために、先ほどのように見える人を見つけ、やっぱりそうなんだという証拠集めをしているに過ぎないということなのです。

それがこの癖の本質にあります。

そうなると、今度は自分の内面で自分自身に逆ギレが始まり、「どうせ」自分は受け入れてもらえない人間だから、「やっぱり」ダメな人間などと拗ねはじめ、ずっとその存在が気になり、自分の中でおかしくなったり、真っ白くなってしまったりするのです。

ただ、この現象は、僕の頭と心の中だけの出来事なので、周囲にはあまり知られません。

この事は、人前で話をすることだけの問題ではなくて、ありとあらゆる僕の人生に影響していた事で、信じられないと思いますが、僕は、ついこの間まで、そんな内面的な問題を抱えていました。

でも、ある日突然と言うか、気がついたらと言うか、その癖がまったく出なくなっていることに気がついたのです。

同時に、これまたビックリな話ですが、仕事や私生活で今まで気になっていたことや、課題だったことが、解決したり又は解決の方向に動き出したりと変わり始めている事に気がついたのです。

まだ半信半疑で、確認作業中ですが、どうせ「どうせ」を使うなら、「どうせダメ」から「どうせ凄い」に変えてやったらどうなるべと思い実行してみたら、やっぱり「やっぱり凄い」って事実が来たわけです。

「どうせダメ」と思っている時は「やっぱりダメ」を見つけ、「どうせ凄い」は「やっぱり凄い」を感じる事実を引き寄せるということがわかりました。

そしてこれが「大丈夫」の仕組みのわかりはじめであり、「安心」を手に入れるための法則なのだと思い始めている時の変化だったので、何かしら関係してるんだなと素直に受け入れることにしました。

今考えてみると、これまでも、そんな法則が働いていたのかもしれません。

これをパッカーンと言うものなのかはわかりませんが、結局、「幸せは自分の内にしかなく、ありのままの自分で結構なのだ^ ^」という結論に至って今を生きています^ ^🐈

僕はそんな強い人間じゃありませんでした^ ^
良かった^ ^(笑)

仁さん有難う^ ^🐈

最後まで読んでいただいて有難う^ ^🐈

13:22 | 記事 nao [コメント:0]

『我がまま・我のまま』

2018年03月09日 | 未分類

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その自信はどこから来るの?
正直なところわからない。自信があるからしているわけじゃない。
ただあるのは、言葉では言い尽くせない感情をたくさん沢山感じてきたからかな。その経験が肥やしになっていると言ったらカッコイイのかもしれない。でも本当はそうじゃない。うまく言えないけれど、そんな積み上げてきた過去やまだ見ぬ未来に影響されない今を生きてるだけ。そりゃ今までの経験がなんかかんか影響していると思う。でもそこを意識して生きていないと言うか、今こうしたら、自分の糧になるからとか、将来絶対にためになるからとか、今こうしてたらこうなるからとか、自分の生き方をソロバン勘定で弾くような真似をして生きたくない、そう言う意味。つい最近まではそうは思えなかったのに、今はそう思える。色んな経験をした中で、不安や心配や恐怖を感じたことが、今は大丈夫になっている。結局、何があっても、例え死を迎えたとしても、必ず「大丈夫」になるとわかったから。この「大丈夫」を手に入れると、本当に究極の安心を手に入れられる。こればっかりは手に入れてしまったので仕方がない。だから今をこの瞬間の今を、自分が感じている自分を精一杯かどうかわかんないけど生きてるだけ。好きだったらやればいいし、嫌だったらやめればいい。そこに理由なんか考えない。多分人から見たら、結構我がままだ。でも、僕の我がままは、我のままと言う意味。こればっかりは自分の生き方だし、仕方がないし、仕様がない。僕は自分の生き方を誇りに思う^ ^

07:52 | 記事 nao [コメント:0]

『自分を生きろ』

2018年03月08日 | 未分類

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詩を創ってみました^ ^

実はこれ、今日、北海道介護福祉学校の特別講義を聴いてくれる未来の介護職になるであろう学生たちを想って書いたものです^ ^

よかったら読んでやって下さい^ ^💕

『自分を生きろ』

自分の生き方を
誰かのせいにしたらいかん
自分を卑下したらいかん

人の生き様は
鏡のようなもので
自分の姿が相手に写る
それが自分に還ってきているだけ

人のせいにしたらいかん
過ごす時間(とき)の違いの中で
人は生き方を変えられる
だから自分に嘘をつかないことを選んだ

自分を感じる
自分を信じる
自分を生きる

なんでそんな生き方なんだい?って聞かれたら
「自分だから!」ってキッパリと言ってやれ

時間(とき)の過ごし方を
どう選ぶかで
自分の色が決まる

誰のせいでもないんだ
自分で選んだんだ
自分を信じろ

色んな過ごし方をしてきた
人の顔色を見ながら
人によく思われようと
いい人でいようと

今は色々な感情のままに時間をかけて生きていることを感じる

でもいつもそこにあったのは
僕は愛されているってことだった
みんな愛しあってるかい?

09:57 | 記事 nao [コメント:0]

『皆さんはどう思われるだろうか?』

2018年03月07日 | 未分類

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皆さんはどう思うだろうか?

やっちゃいけないって思ってることをやってみる。どうせ無理って思ってることをやってみる。

別な言い方をすると、やってみたいと思っていることをやってみる となる。

自分の人生をよくよく考えてみるとなんかそうしてきたようにも思える。

別な捉え方をすると、やっているやりたくないことをやめてみる。
やっていることをやりたくないと思いながらやるのは、逆に本意ではないし、そもそも本位ではない。

例え、ビジネスのためだからとか、人脈のためだからとかは、おかしいと思う。

要は、今までの自分のタブーに対してあえてやってみたり、自分にかけていた制限やルールを外してみるということだ。

僕は、逆にそうしたことでできた時間や余裕を、自分の楽しみや好きなこと、つまり本当にやりたいことに使っている^ ^🐈

13:06 | 記事 nao [コメント:0]

『看取り』

2018年03月07日 | 未分類

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今朝、アウルで生活されていたお婆さんが命を全うしました。多分家に帰りたかったろうなぁ~と感じ、本当にこれでいいのかと自問自答してしまいます。決して誰かや何かが悪いと言っているわけではなくて、本人の本意と本位は・・・と考えてしまうからです。人の命と向き合う度に想う気持ちです。未だ答えは出ていません。そうしたなか、スタッフには感謝しかありません。家族がお婆さんの生き抜く姿に添えるようにしてくれました。お婆さんが心地よく生き抜けるように支えてくれました。本当に有難うございます。そして、お婆さん、本当にお疲れ様でした。またお会いしましょう。合掌。

13:03 | 記事 nao [コメント:0]

『The Good Lie』

2018年03月05日 | 未分類

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「The Good Lie 」

「The Good Lie」と言う映画を観た。僕は単純な生き物だから、そうかこう言う嘘もあるんだなと受け入れた。以前にも「嘘」について投稿したことがあったが、続編を書いた。
「嘘」にもいろいろある。結論から言うと、僕の前提は「嘘はついてはいけない」だったけれども、「いい嘘はついてもいい」ってことに辿り着いた。僕の中での「いい嘘」とは、どういう嘘か。それは、その嘘が相手にとっていいと思ってつく嘘。もっと深掘りしてゆくと、相手の本意と自分の本意が一致した関係で行われること。さらにそれは双方のそれぞれの満足度や幸福感に繋がること。
僕は、そこはかとなくバカだと思っている。やっぱりいい人ぶってっからなんだろうなぁ〜とつくづく思う。でも、それでもいいと思っている。嘘をつくのも、つかれるのも、それぞれに、それなりの理由や事情がある。どちらかでなければならないわけでもない。人の振り見て感じたことだけど、ひとつ嘘をつくと、その嘘がバレないようにまた嘘をつく。そして、またその嘘がバレないようにとまた嘘をつく。でもそれは、見る人がみると、み〜んなバレていたりする。嘘をついた本人も、嘘がバレてもいい嘘をついていたりする。それで満足するのもいると思う。もっと言うと、嘘をついて自分が優位に立ったと思うことで嘘をつくのかもしれない。自分の身を守るためなのか、はたまた相手の身を守るためなのかはわからない。最後にはその嘘は積もり積もって、真実を引き寄せ嘘をついた本人に還る。この還るもどう還るかはわからない。それもまた人の生き方だろうと思った。
「The Good Lie 」いい嘘はついてもいいと僕は思う。良いか悪いかの基準はそれぞれあっていい。同じようにしなければならない世の中や世間様に逆らうようだが、それが本意だ。繰り返し言うが、「いい嘘」はついてもいいのだ。

※「The Good Lie」オススメの映画である。実話であり、実際の人物が演じている。

12:56 | 記事 nao [コメント:0]