log

【大発見!】

2018年11月09日 | 未分類

ファイル 1322-1.jpeg

大発見!

やっぱり嫌だな〜って感じる人にも意味があるんですね。

自分で言うのもアレなんですが、
人一倍感受性が豊かな方なので、
お爺さんやお婆さんたちのこともそうですが、関わる全ての人たちの気持ちが、なんとなく伝わってくるというか、感じてしまうというか、わかっちゃうというか、そう感じちゃうんです。

おかしいでしょ(笑)

だから僕は変態変人だと思うんです(笑)

そう感じると、もうダメなんです、受け入れないんです、拒絶してしまうんです、もう自分が抑えられなくなってしまうんです(笑)

笑い事じゃないですよね(笑)
笑ってますが^ ^(笑)

もう困ったもんですが、これも僕なので、少なくとも僕自身は、なんでそうなるの?と自分責めのような変態振りを発揮するのはやめて、認めることにしたんです(笑)

認めていない時は、出来るだけそう感じないように、手を打ちます、手立てを講じます、備えるんです(笑)

出来るだけ合わないようにするとか、喋らないようにするとか、どうしても同じ空間にいなければならない時は、目線を絶対に合わせないとか、出来るだけ感情を抑えるように、なまら意識するとか、そんな手立てを講じるんです(笑)

でもね、そんなことしているとですね、苦しくなるんですよ。心から苦しくなるんですよ。

でね、よくよく考えてみたんです。くよくよ考えたわけじゃないですよ(笑)

そもそも、なんで嫌なのかなって考えたんです。

したら、凄いことに気がついたんです。薄々は、なんとなく、わかっていたというか、気づいていたんですけど・・・

これは真理ですね。

それは何かっていうと

その嫌な奴って〜のは

「嫌な自分」つまり、いつも否定していた自分だったんです(笑)

あははははは(笑)
笑えるでしょ(笑)

自分の嫌だなと思っているとこだったり、いつも自分にダメ出ししているとこだったり、いつも自分に否定されている自分が、映写機を通して投影されて、目の前に映し出されているという感じに気づいたんです(笑)

その嫌な奴は、いつも否定していた自分だったんです(笑)

若い奴が嫌だな〜って感じたとしますよね、すると、それって若い頃の自分とそっくりだったりするんです(笑)

やることなすことぜ〜んぶですわ(笑)

笑えるでしょ(笑)

確かなことは、嫌だなと思った奴のしていることは、自分も同じことをしているという事実です。

これ、間違いありません。

人はよく鏡と言いますが、本当にそうだったわけです。

そして、それは決して表面上の上部のことではなくて、僕の内にある本質的な前提がそうみせているという事実でした。

その前提とは、否定している分だけ、嫌いな人が多いとか、嫌いな部分があるとか、そんな感じですから、ということは、その反面を欲望していることにもなりますよね。

ということは、そのさらに前提にあるのは、羨ましいとか、羨望とか、嫉妬なんです(笑)

なんとういうことだ!

もし僕のことを嫌いだというあなた!

あなたは、僕を通して自分自身の前提を見ているということになるし、僕に嫉妬してることになるということです(笑)

僕は、あなたを通して僕自身の前提を見ているわけですから、あなたに嫉妬してるということになるわけです(笑)

面白いですね(笑)

笑ってばっかりですが、つまり、自分という存在(前提)をより知るために、自分の周囲にそういう人を用意して、感じてるんですね。

自分のことは自分が一番よく知っていると思いがちですが、本当は一番よく知らないのかもしれませんね。

というか、そもそも自分で自分を見ることはできませんから、まさしくその通りですね。

だから相手を通して自分を見るということになりますね。

もっと凄い発見はですね、この仕組みって、嫌な人バージョンだけではなくて、好きな人バージョンにも同じことが言えると思いますよ。

つまり、全ては自分次第ってことですね(笑)

認めましょう^ ^すべてを^ ^

それが、本当の意味での戦いを手放すということだと思いますよ^ ^

Naoto

06:40 | 記事 nao [コメント:0]

Don't Think Twice, It's All Right

2018年11月08日 | 未分類

ファイル 1321-1.jpeg

Don't Think Twice, It's All Right

くよくよするなよって、ボブディランの声聞こえてくる

今日という日が、最期の日だと思って生きてきたが

「思う」は、いつまでたっても「思う」のまま

仁さん(心屋仁之助)が言っていたが

本当の意味で今日を最後の日の如く生きるということは

今日一日、自分を恥ずかしがらずに、遠慮しないで、自分を卑下せず、いじけず、拗ねずに生きたか

どうせ自分なんか無理だ、とか
何か言われるんでないか、とか
無理に決まってる、とか
それはダメでしょ、とか
こんなことしてていいんだべか、とか
コレで良かったんだべか、とか
どこが悪かったんだべか、とか

そんなことを言わずに

目の前にやってきた楽しいことを、楽しみきること
目の前にやってきた悲しいことを、感じきること
そうした自分を、結果や相手の反応で、いちいち責めないこと
そして、それができなかったときは、あはははははと笑うこと

その発信をみたら泣けてきた(笑)すぐ泣くから可笑しい(笑)

正直なところ
自分を責めていたし、自分に対して誠意ある生き方をして来なかった時もあった

それはそれは自分に対して失礼なことをしたなと、今更ながら思うこともあるが、それでも、自分に正直に生きてきたと思っている

では、これからどう生きるか
56歳にもなって考えている
そんな繰り返し

いくら考えても
頭を抱えようとも
どうしようもないことはどうしようもない

過去はすでに存在しないし
存在するとすれば自分の思考の中だけ

そうくよくよ考えるなよ
前を向いて歩こうや
今、この瞬間を生きること

自分の周りにいる人たちが、いろんな出来事を通して教えてくれている

それもこれもすべて自分への采配

Don't Think Twice, It's All Right

まっいいか(笑)

Naoto

07:16 | 記事 nao [コメント:0]

【本音をいう」

2018年11月07日 | 未分類

ファイル 1320-1.png

「本音をいう」

これ

以前に、私のカウンセラーの師匠である、なずさんのブロブに書いてあった教え🤭

本音をいうということは、言いたいことをいうということ

「言いたいこという」というのはね

相手に伝えるためでもなく
理解されるためでもなく

ただ「自分自身に嘘をつかないため」なんだ

これに、いつも勇気をもらって事あるごとに思い出す

人前に出て喋りまくる時がたくさんある

喋る終わるとなんだか心寂しくなる時がある

でも、時にそう感じない時もある

この違いはなんだろうと考えた時に、ハッと気がついた

それは

言いたいことをいう時の自分の心の矛先が、どこを向いているかどうかだと気づいた

相手に伝えようとか
相手に理解してもらおうとか
つまり
相手に解ってもらおうという想いが強ければ強いほど
その気持ちが増す

私は

自分自身に嘘をつかないために、話している、言っているだけで、それでいい

そういう時は
とても清々しい気分になる

これでいいのだ

よく見せようとか
よく思わせようとか
どうだ!自分は凄いだろうとか
心のどこかに宿る
自分でも気づかないほどの小さな欲に
自分で気づけた時に
なまら恥ずかしくなるけど
そんな自分でも
OKを出せる自分であろう

そこで初めて癒えるのだと思う
そしてその欲は消化してゆくのだと思う

よしよし^ ^

Naoto

※なずさんのブログをスクショしましたので、スクショを参考にそれぞれに検索してご覧下さい^ ^

06:40 | 記事 nao [コメント:0]

【為すべきことを今すぐ為せ】

2018年11月06日 | 未分類

ファイル 1319-1.jpeg

為すべきことを今すぐ為せ

長いです^ ^(笑)

昨日、Amazonのプライムビデオで「沈黙」という映画を観ました

江戸時代の切支丹の迫害を描いた映画です

「為すべきことを今すぐ為せ」

最後の晩餐にイエスがユダに言った言葉だと知りました

私はキリスト教徒ではありませんが、その言葉を聞いた時の自分の中の勝手な解釈でゆるされるのなら

「自分が正しいと思ったことをしなさい」と言われているような気がしました

「為すべきことを今すぐ為せ」

これは僕の事業所の話ですが

伊達市で初めてのグループホームアウルを立ち上げ、その翌年、伊達市で初めての認知症対応型のデイサービス、その翌年、登別市で始めてのグループホーム、アウル登別館、その翌年、伊達市で初めての高齢者向けの賃貸アパート、安心ハウスグランデージ北湘南の管理とレストランの委託を受け、そして、一昨年の暮れに、安心ハウスの委託を終了し、伊達市で初めてのサービス付高齢者向け住宅アウルと小規模多機能型居宅介護アウルを立ち上げてきました

いづれも、その地では初めての試みの事業ばかりでした

すべてが初めての事業でしたから運営の安定までには、やはりそれなりにかかりましたが、だいたい3年程度の時間の経過は必要だったようです

私の経験上で言うならば、その後、それぞれにだいたい3年周期で様々な正念場が訪れていたようです

ただ、3年周期で起こったとしても、それはいい状態になるための揺り戻しだったと、今は思えます

とても不思議なことですが、その揺り戻しは、何度も何度も、そこに居住まう人たち(スタッフも含めて)が心地いい状態になるまで続くのです

これはあくまでも結果の話です

事業を立ち上げて18年目に入りましたが、人的なことで言いますと、管理者も含めて、ほとんどが入れ替わりました

伊達のアウルのオープンスタッフは、私を含めて2人、登別は、管理者ひとりだけになりました

どんなに計画を立て、研修をやろうが、優秀な管理者、優秀?な社長がいようが、たいした変わらないようです

その場の揺り戻しの主たる要因や誘引は、自分の正しさだけの主張と、相手の非難に明け暮れる日々が多かったように、私には感じます

いわゆる人間関係です

しかし、3年を過ぎる頃には変化が起こり、3年もあ〜だ、こ〜だと同じ釜の飯を食っていると、自分の正しさだけの主張と非難ばかりではうまくいかなことに気づき出します

その目指す方向を、利用者、入居者の心地よい暮らしとは何かに標準を合わせてゆくと、単純に自分の正しさや、間違い探しではなく、純粋に自分との「違い」だけだったと気づき、同時に向いている方向は同じであると気づけていきます

つまり「違い」を認め合い、他を受け入れ、気づきだしたチームは、その「違い」を補おうとそれぞれ主体的に、自ら考え行動するようになり、そこからさらに成熟し始めます

そうなると、最強のチームが出来上がるのです

今、新規事業が始まり、実質2年目に突入しましたが、今、正念場を迎えています

経験上、事業の安定までは、3年はかかるという意味においては想定内でしたので、今、様々に起きている正念場は理解できます

さて、私たちは、この場をどう乗り切るのか

ただ、どんな場が訪れようが、潰れかけようが、決して譲れないことは、私たちの仕事は、私たちの地域で生活する住民が、人間らしく心地よく暮らしが営めるように応援することなので、どのような場が起きようが、まったくブレません

今まさにこの

「為すべきことを今すぐ為せ」

が、日々の暮らしの中の映画観賞で、私へ届いたと私が意識したということは、今、この場における、いわゆる神様の啓示(メッセージ)だなと素直に感じました

長くなりましたが、今の私の想いを綴らせてもらいました
最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m

Naoto

11:26 | 記事 nao [コメント:0]

【でも】

2018年11月05日 | 未分類

ファイル 1318-1.jpeg

でも

世の中には

人を恨んだり、憎んだり、嫉妬したりして、頑張れる人がいるのかもしれない

でも

人を喜ばしたり、笑わせたり、愛したりして、頑張れたらと

でも時に

人を恨んだり、憎んだり、嫉妬したりすることがあったし、これからもそう思うことがあると思う

人を沢山恨んだり、憎んだり、嫉妬したりしたおかげで、今の自分が在るのかもしれない

でも

その反面いつも本能は、人が喜んだり、笑ったり、愛したりしている姿をみていたいと望み続けていたし、自分自身もそう在りたいと願っていた

自分には嘘をつきたくないから、自分が正しいと思ったことや感じたことをやるし、少なくとも自分は、自分の味方でいい人でいたい

どんな自分でもOKなのさ^ ^👌

あなたも僕も、自分が思っている以上に認められているよ^ ^

Naoto

07:08 | 記事 nao [コメント:0]

【勇気と恐れ】

2018年11月04日 | 未分類

ファイル 1317-1.jpeg

勇気なんて恐れの裏返しなんだよ

それなら

俺にも勇気はある

いつも一体だなと思っていた

ちょっとしたことでビクビクと震えるし

少しの勇気でドンドン前に進める時もある

人間何がどこでどうなるかはわからん

いずれにせよ

すべては表裏一体

表裏どころか宇宙空間のように360度の世界が広がっているだけと今は思える

何を信じても物事は大きく変化してゆく

恐れでもいい

勇気でもいい

それ以外のすべてでもいい

いずれでもいいんだ

二者択一でも、二者選択でもない

すべての選択が用意されているだけ

何を選んでもいい

Naoto

11:10 | 記事 nao [コメント:0]

【言い尽くせないが】

2018年11月03日 | 未分類

ファイル 1316-1.jpeg

言い尽くせないが

点と線の自立、又は支えなくして面の自立、支えは出来ないと僕は思う

面とは、暮らしの潤いであり、暮らし全般、つまりは人と人との繋がりであるすべての繋がりであり、社会でもあり、人生そのものと考えている

別な言い方をすると

面の形成は、無数の点の存在の集まりであり、その点と点が繋がって、面を創造していると言える

つまり、面を支えると言うことは、その面を創造している点そのものと、点と点を繋げる線の支えがあって、初めて面の支へと言える

例え、物理的に面の意識や器や社会を備えたとしても、その中身がピーマンであれば、なんの意味もないとは言わないが、片手落ちである

なぜなら、人間一人ひとりの持つ面は、さらに複雑な点と点の集まりだからである

医療や介護は、ここへの関心が薄いようだ

それぞれに崇高な理念だか哲学だか知らないがお持ちのようだが

その人間が生きようとする自立と自律と、両方が折り合い、紡ぎ合い、繋がり合い、生きるを満たすということは

今のこの国の社会の意識と仕組みでは、一人ひとりの「生」を豊かに全うするまで支えるのは稀であり、逆を言うと、その稀な「生の全う」を、ひとつひとつ丁寧に社会に発信していくしか変革の方法はないように思える

さて、僕たちはどれだけの時を重ね、貯め、費やせば、そこまで行き着くのだろうか

やはり、人が豊かに生きるために僕らにできることは、彼らの生きる点と点を、自分たちの力で繋げられるように支えることであり、それはどのような場所であっても、日々の暮らしの積み重ねの中でしか、たどり着けないのだろう

Naoto

10:53 | 記事 nao [コメント:0]

【怪我したことありますか?】

2018年11月02日 | 未分類

ファイル 1315-1.jpeg

怪我したことありますか?

多分、生きていれば、一つや二つ怪我をしたことがありませんか?

それって、なんか特別に何かあれば別ですけど、治るんですね。

治り方も、傷の具合にもよりますけど、治るんですね。

人間は、凄いなぁ〜と思います。

僕らの生き方にも、それとおんなじことが当てはまると思うんです。

生きていれば、傷つくことだってある。

傷の程度にもよりますが、黙っていても自然に治ります。

そこが、人間の仕組みで凄いなと思うところで、自然に治癒してしまうのです。

そのひとつに、忘れるということがあります。

この忘れるということも、人間に備わった自然治癒力のひとつだと思います。

物忘れなどは、日常生活でごくごく普通に起きていることです。

ですから、僕は物忘れを恐れるな!と言いたい^ ^

さらに、人の記憶は、ほんと都合良くできていると感じることがよくあります。

どちらかというと、過去の記憶は美化されるというか、自分にとっていい感じで表現される事が多いように思います。

だから、あまり人の記憶はあてにはならないと思っていた方がいいでしょうね。正直、100%あてになりませんね(笑)

科学的、物理的、数学的にどうかはわかりませんが、そう思いますよ(笑)

ですから、過去のことを持ち出して、あ〜でもない、こ〜でもないと、自分の記憶を正当化するような人は、当てにはしていません。

過去は、もうないのですから、正直どうでもいいわけです。

そう思えるようになりました。

そういう意味でも、いつかは笑ってお茶が飲めるようになるといいなと思います。

そんな寛容な関係や社会になるといいですね^ ^

Naoto

08:34 | 記事 nao [コメント:0]

【いろいろと書いていますが】

2018年11月01日 | 未分類

ファイル 1314-1.jpeg

いろいろと書いてますが

ほとんどは、誰かにとか誰かを思い描いてとか、そんな感じで書いているわけではありませんが、誰かの投稿やメッセージに刺激を受けてと言うか、インスパイアされ投稿したことは何度もあります。

ただ、そのほとんどは自分自身に向けてメッセージです。

答えは自分の中にしかないと思っているので、その自分に対しての自問自答と励ましと賞賛と責め(笑)のために書いています。


『選択は自分で出来る』

生きていると、いろんなことが起きます。というか、自分が起こしていると言った方が、より真理に近いかな^ ^

何を云いたいかと言いますと、ぜ〜んぶ、自分が選んでいるということです。全部です。信じられないと思いますが、全て自分が選択しています。全ては、自分の選択の結果です^ ^


『いまさらではなくいまから』

ぜ〜んぶ自分が選んできた結果だとしたら、これからの人生も自分の選択で生きることになりますよね。

ということは、自分の選択で人生が変わるという言い方もできます。というか、自分の人生は自分で変えられるということになりませんか?

僕はそう信じていますし、そう選択して生きるんだぞ!と自分に葉っぱをかけているわけではありませんが、そう生きようと意識するようになりましたね。

ですから、たとえ「これまで」どんな過去があろうとも、「これから」の選択で、過去は変わるのです。

そう考えると、究極のところ黙ってでも変わるのです。

この世は、無常の世界ですからね^ ^

つまりは、“これから“が”これまで“を創るんです。

これは、理論物理学者 佐治晴夫先生にインスパイアされ、自分の中の考えが整理された考え方です。

『言葉は重なる』

そう考えてゆくと、誰かが考えた、言った言葉は、僕が考えている、伝えている、書いている言葉と混ざり合います。

全ては、今この瞬間に起きていると考えると、とても不思議なことだし、とっても神秘的で凄いことだと感じます。

この世界で、この瞬間に起きている思考と言葉と行動を大切に生きると、あらゆるものとシンクロするということですね^ ^

『結論』

全ては、自分が選べるということです^ ^

Naoto

06:52 | 記事 nao [コメント:0]

【未来へのメッセージ】

2018年10月31日 | 未分類

ファイル 1313-1.jpeg

未来へのメッセージ

今日、北海道認知症グループホーム協会の理事会でした。

今日は大切な案件がいくつかあり、皆さんと有意義な議論ができました。

特に、グループホームの未来について語るための集まりが、11月12日に東京で行われる案件について議論していただきました。

全国47都道府県には、それぞれの地域に根ざした活動をしている事業者団体がいくつもあります。

当協会もその一つです。

これまで、全国的な組織は、日本認知症グループホーム協会と全国グループホーム団体連合会の2つと、どちらにも所属していない、各地域の団体が存在しています。

この度、日本認知症グループホーム協会の河崎会長から、全国にあるそれぞれの組織にお声をかけていただき「認知症グループホームの未来を共に語る会」を開催することになり、案内が来ておりました。

その参加の是非について、理事の皆様と協議をさせていただきました。

北海道は、全国グループホーム団体連合会に所属しておりますが、連合会としては参加しないとの見解でしたので、北海道としては独自に「語る会」に参加したい旨をご説明させていただきました。

その際に僕から皆さんにお伝えした内容を簡潔にまとめてみました。

これは僕からの未来へのメッセージです。

^_^^_^^_^^_^^_^^_^^_^^_^^_^^_^

私は、この「認知症グループホームの未来を共に語る会」に参加したいと考えています。

過去における、グループホームの事業者団体の関係は、それぞれに、個人的な見解があると思いますが、今回は、それは横に置いといての話です。

もちろん、過去は過去で尊重されることが大切ですが、いつまでも過去に縛られていては前に進めません。本当に過去を成仏させるためには、これからをどうするかを考えて一歩前に行動を起こすことだと思うからです。

僕はもう黙っていられないくらい、気持ちが荒んでしまってます。前を向いて歩き出したい、だだそれだけです。解って欲しいとはまったく思わないですけど、少なくとも自分に嘘をつきたくないだけなので、冷たいようですが、個人的な感情は、今はどうでもいいんです。

未来のために、もう黙ってみていられないから。個人的な感情論や遺恨で、この国の大切なことが左右されてしまうなんて耐えられませんし、そう考える人たちとは距離を置きたいと考えています。

今は、ひとつになろうとかではなくて、まずは、一同に介してグループホームという共通のテーマについて、その未来を考えよう、語り合いましょう、そこからひとつひとつ時を重ねて貯めていきましょうという話です。

皆さんは如何ですか?

^_^^_^^_^^_^^_^^_^^_^^_^^_^^_^

と、少し変えましたが、問いかけさせていただきました。

皆さんからは、まずは参加して意見を共有できる関係を築いていくという意味で、参加することを、全会一致で承認していただきました。

これからまた、どのように変化してゆくのかは解りませんが、少なくともこの変革に携わり、語り合ってゆくことに力を注ぎたいと思います。

Naoto

20:12 | 記事 nao [コメント:0]