「不安という安心」
これはですね
結構、根強いというか根深いのです
つまり、いつも不安を抱いていなければ安心できないことを言うのです
安心でいると何か物足りなさを感じてしまう
不安でいることで常に考えたり対策を講じたりすることができるからです
そのためには惜しみなくお金を使います
自己啓発本を買いあさり、何かのセミナーに参加したり、宗教に行ったりと人それぞれでしょう
僕たちの業界で言えば、認知症に関わる研修会の参加することで、自分の中の不安を解消しようとします
それと同じです
研修会や講演会が終わると、一般的に「よかったね」で満足するのですが
いざ職場に戻ると再び不安が襲ってくるのです
本質は何も変わっておらず
また同じような研修会や講演会に出ては、その時の自分の中にある不安を解消しようとするのです
この仕組みって一体なんだろうとずっと考えてきました
結局、人間というのは不安を買っているようなもので、いつも不安と安心の狭間でいることが居心地がいうというか、安心を獲得する何かをすることに酔っているのです
僕はもうそれやめました
僕の本質は満たされ常に安心のていでいられる自分を選びました
とても楽ちんです
楽ちんで楽ちんで浮かんじゃいそうです
何が起こっても別な思考で自分を見られるようになりつつあります
だから何も怖くないです
人に非難されることも
極端に言うと死ぬこともです
それは多分、僕のところで死んでいったお爺さんやお婆さんたちのお陰だと思うのです
彼らに感謝です 有難うですわ
決して『死』に慣れたわけではありません
怖いのはオバケと便所コウロギだけです
長々と聞いていただき有難うございました
nai