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『悩みの基本』

2017年07月18日 | 未分類

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aさんはbさんに言います

「なんで言うとおりにしないのよ」

「なんでわたしの思い通りの行動しないのよ」

「なんでわたしと同じこと考えないの?」

「わたしの方が正しいんだから」

「なんでそんなのがいいわけ?!」

「なんてわがままなの!」

人間関係の問題って
基本全部これ

そのまま、bさんはaさんにきっとこう言うでしょう

「あなたこそ、なんでわたしの言うとおりにしないのよ」

「あなたこそ、なんでわたしの思い通りの行動しないのよ。わたしの思い通りとは、その言動を止めてくれること」

「なんでわたしと違うこと考えといてそれを押し付けてくるの?」

「なんでわたしと同じこと考えないの」

「わたしの方が正しいんだから」 

「なんでこのよさがわからないわけ?!」

「なんてわがままなの!」 

親子
夫婦
友人
上司部下
赤の他人

「わかってよ!」

「キミこそわかってよ!」 

みんな同じ

「わたしの理想通りではない」 
 
これが悩みの基本

(心屋仁之助 facebookより)

なお

08:12 | 記事 nao [コメント:0]

『食事の風景』

2017年06月18日 | 未分類

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小規模多機能の食事の風景ですが

大家族でご飯を食べている感じでいいですね

往々にして

安全や人間関係に配慮して

食べる場所をセパレートしているところが多いようですが

小規模の場合は違います

安全や安心に関して言えば

これ以上に安心安全な形式はないでしょう

安心安全は結果

安心安全が目的になっては

せっかくの美味しい食事も台無しです

よく誤嚥したらどうするのですか?

逆にこの形式が誤嚥の気づきと対応も素早く出来ます

セパレートして座っている方が

スタッフの視界が死角になったり、注意が分散したりして発見が遅れてしまいます

しかし

そのことが食事の座り方を左右してしまうのはおかしいですよね

もし

みなさんと一緒に顔を合わせて食べたくないという方がいれば別ですが

その方に応じた食事環境は考えられるのです

往々にして

利用者の安心安全と言いながら

いつの間にかというか

本音は

専門職の一方的な安心安全となっているのが現状ではないでしょうか?

しかし

僕たちのねらいは違います

まずは

・本人の意向の確認と尊重

・顔が見える関係(人間関係の構築と配慮)

・そもそもの食事を楽しむ

・食べると言うことの意識化及び顕在化(モデリング)

・スタッフも一緒に食べる(等間隔で座る)

・リスクマネジメント(見えない専門性の発揮)

僕たちは

この6点を大切な視点として日常の支援を行なっています

さぁ!

この時のメインディッシュは

「カレイの煮付け」

男性利用者の方が味付けされ

じっくり煮付けたカレイ

美味しかったそうですよ^ ^

ちなみに

こうした取り組みが

認知症の進行を遅くしたり緩和したりすることがわかってきています

みなさんもお試し下さい

総合施設長 宮崎直人

06:07 | 記事 nao [コメント:0]

『有する能力』

2017年04月15日 | 未分類

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介護保険法には

「有する能力に応じて自立した日常生活が送れるように」

と書かれています

サ高住だろうが

小規模だろうが

グループホームだろうが

デイサービスであろうが

特養であろうが

養護であろうが

有料老人ホームであろうが

自宅であろうが

どこであろうが

大切なことは3つだけ

①「自分の事は自分ですること」

②「互いに助け合うこと」

③「社会とつながっていること」

僕の支えのベースです

これ以上でも以下でもありません

僕たちの関わりの在り方と同時に

人間として生きるということに違和感を感じるとすれば

多分ここにズレがあるということです

僕は諦めません

Nao

22:15 | 記事 nao [コメント:0]

『僕とあなたと認知症』

2017年04月07日 | 未分類

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昔僕は

あなた=認知症(痴呆症)

そう思っていました

最近

僕とあなたと認知症の関係に変化を感じています

気がついたら変化していたってことあるでしょ^ ^

そんな感じ

『あなた=認知症』

なんとまぁ傲慢なんでしょう

そう思いました

認知症はあなたの一部という人もいますが

僕は違います

多分(多分としか言えないですが)

どちらかというと

一部というより

共に生きるという感覚が近いです

僕も完治しない病気と付き合っているので

そんな感覚をヒントにしています

ですから

全てではないし

一部でもない

あなたの身体の中のどこかで付き合っているという感じかな

若しくは

持っているという感じかな

僕の場合

あなたと日常を過ごして居ると

認知症がどこかにいってしまいます

あなたがそこにただ居るだけの感覚です

あなたと僕の関係にとって

認知症が介在しないのです

それはあなたと僕の関係にとって

とても素敵なことだと思っています

あなたが日常で困っている時だけ

いや

お互いに必要な時にだけ

僕は

認知症の知識と知恵を

取り出せるようになりました^ ^

これまでの失礼の数々をお許し下さいm(_ _)m

僕とあなたと認知症

これからも考え続けます^ ^

できるだけ柔らかくゆる〜く^ ^

お互いを大切に思いながら^ ^

Nao

06:28 | 記事 nao [コメント:0]

『糞真面目な投稿で恐縮です』

2017年04月02日 | 未分類

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先日、新規事業所で会議がありました

その中で

この業界は

「介護は、資格がなくても出来る仕事」のような話になりました

すると

「資格がないのに、高い専門性を求められるんですね」と笑われました

「そうです、これが今のこの業界の実態です」と還しましたが

それしか言えませんでした

それしか言えなかった自分に腹がたち悔しかったのです

多分これまで志を持ってやってきましたが

どこかに「どうせ」があって拗ねているからなのでしょう

この国の国民の多くは

何らかの介護が必要な状態になった時

介護保険と言う仕組みを利用しています

介護報酬の中身は

国民の責任である介護保険料と本人による一部負担金と税金が投入されています

医療も仕組み的には同じです

つまり僕たちのお給料はその中で賄われています

つまり支払われる保険料や税金が低くなればなるほど

介護報酬は下がります

つまり介護保険料が低いと言うことは

低い報酬

つまりお給料になるわけです

本質的なことを言うと

低い賃金でより高度な専門性を求めているのは誰なのか?

多くの真っ当な事業者(経営者)は

その仕組みの中で法令遵守はもちろんのこと

決められた介護報酬体系の中で

国が認めた経営形態の中の規則に則って

スタッフの有する能力に応じてお給料として分配されています

ですから

僕が支払っている訳ではありません

つまり実費以外は

全ての国民一人ひとりが応分にその責任を享受している仕組みですから

国民一人ひとりの総意としての報酬なのです

つまり国民一人ひとりから頂いていると言うことになります

と言うことは

本質的には公務員と同じなのです

高い専門性と言われるには

それなりにそのサービスの高い評価としての価値というのがあります

その価値を僕たちは高めて行くことによって

国民一人ひとりにその価値を認めてもらうように努めることが大切です

同時に、国民一人ひとりがこの介護という仕事に対して

高い専門性を求めているのであれば

その価値を見極めて

その価値に見合った支払いと負担を考えなければならないとも思います

しかしその価値は低いのが現状です

安い保険料で高い専門性は無理です

逆に低い専門性で高い報酬も無理な話です

しかし、この業界は今まさにその真っ只中にいるのです

どう思われますか?

しかし今は

低い報酬で高い専門性を求められるのです

もちろん事業者は

有資格者を採用しようと努力します

しかし

介護福祉士資格を持った人はもちろん

介護福祉士資格を取ろうとする人すら減っている

同時に

介護保険事業所やその他の施設が増える中で

資格を有する限られた人財を確保するのは至難の技です

そうなると事業者は

資格を持たない人を採用し育む努力をします

アウルのスタッフの多くは

仕事をしながら国家資格をとったものたちばかりです

今年も2人介護福祉士に合格しました

仕事をしながら資格をとったのです

素晴らしいことです

それでも僕たちを笑いますか?

笑えますか?

皮肉が言えますか?

この国の人たちは

消費税が2%上がるだけでも

文句を言う

社会保障の目的に使うと国は言うが

介護報酬は下がる一方で

せっかく消費税が上がって

介護報酬も上がるのかなと思いきや

消費税は上がらない

つまり介護報酬は上がりません

と言うことはお給料は上がらないと言うことです

下がる一方です

確かに加算はあります

その加算すら微々たるもの

小さな事業者にとっては死活問題です

僕一人の考えでは

どうすることもできないのです

ですから事業者同士が集まって

国へ国民の皆さんに僕たちの専門性を高め

その価値感が高まるよう働きかけているのです

その事業者団体ですらひとつになれない

僕は国民の一人として

誰に何と言われようが

誰かに鼻で笑われようが

僕たちのしていることの素晴らしさと

自分が自分らしく生きて行くための

大切な価値ある仕事であると伝えていきます

そこにたくさんの豊かさと

人間としての究極の存在価値を見いだしているからです

それが人間の本質的な幸福と信じているからです

ですから

国民の一人として

この国の未来をどう創造してゆくかを考えていきます

Nao

10:18 | 記事 nao [コメント:0]

『リーダーズ 2』

2017年03月29日 | 未分類

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久しぶりに熱いドラマを観ました

初めてグループホームを始めた頃を思い出しました

この国ではまだ制度化されていない平成8年

特養の取り組みとして始めたのが

僕が初めて出会ったグループホームでした

その頃の熱い想いを思い出しました

最近

自社の各事業所から

設立した想いをスタッフに伝えて欲しいと

今度スタッフ向けに話をすることになっています

当時の昔々のフジテレビの取材を受けた映像もあるので

それを使ってみんなに伝えようと思う

グループホームの良さが

グループホームの効果が

グループホームの豊かさが

グループホームの日常が

そしてグループホームのケアそのものが

この国の認知症ケアの歴史を変える仕組みと信じて

これまで取り組んで来た想いを

痴呆症と言われていた時代から30年

グループホームに携わってから20年

今もこれからも

その熱さはこの胸にあります

Nao

13:45 | 記事 nao [コメント:0]

『せたな』

2017年03月25日 | 未分類

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昨日せたな町で

『めざせ!認知症になっても安心して暮せるまち~せたな~』

「あなたが認知症になった
ら・・・」~せたな町に、あったらいいなこんなこと、あんなこと~

というテーマについて

考える機会をいただきました

最近僕の中にあるテーマが

『繋がり』

認知症のみならず

すべてにおいて

大切なキーワードです

この「繋がり」が意識された事柄は

この地球上のすべての生きとし生けるものにとって

とても有益な考え方

若しくは哲学にも繋がります

「繋がり」が閉ざされた事柄は

いつか衰退し

この地球上から消滅してしまうでしょう

今この瞬間の選択が大切なのです

Nao

写真のカツカレーは、せたな町で有名な「みつわ食堂」の有名メニューだそうです^ ^美味しくたいらげてしまいました^ ^ご馳走様でした^ ^

11:32 | 記事 nao [コメント:0]

『好きなこととしたいこと』

2017年03月24日 | 未分類

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自分が好きなことと

自分がしたいことが

一緒で

さらに自分の力でできる

すると自分がとても嬉しくなります

それはとても当たり前なことですが

何らかの状況や状態によって

その当たり前な日常が困難な方もいるでしょう

自分の好きなことやりたいことがあってもできないことが生まれる

自分が好きなことだけども

自分ではやりたくないこともある

自分の好きじゃないことを

自分でやらなきゃならないこともある

自分が好きじゃないことを

自分でやらなくていいこともある

一番いいのは

自分が好きなことを

自分に力でできること

Nao

07:14 | 記事 nao [コメント:0]

『大切』

2017年03月22日 | 未分類

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今日のNHK連続ドラマ「ひよっこ」で

主人公のセリフに触発された

「これまでの歩みがあるから、今があるのです。今があるから、これからがあるのです。」

ですから

今の歩みを大切にしようと思った

時に人は

これまでの歩みが認められず

今の歩みを悔やみ大切にできないから

これからの歩みが不安になるのです

今の歩みを大切にすること

今の自分を大切にすること

「大切にする」

それだけでいいのです

大切にするのに

理由も理屈み言い訳もいらないのです

ただただ

「自分の今を大切にする」

それだけでいいのです

そのことが

過去の自分も

未来の自分も

認められ

周りの大切に触れられるのです^ ^

Nao

18:47 | 記事 nao [コメント:0]

『拠りどころ』

2017年03月21日 | 未分類

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『拠りどころ』

誰でも

最初からうまくいきません

どれだけ想いを込めているか

必ずそれは伝わる

そう信じています

スタートが同じでも

歩む道

考え方が違うと

まったく違う結果になる

私とあなたでは

まったく違う

全然違う

全て違う

でも

それはそれで

それらは

とても素敵な生き方

だと思えることが

素敵だなぁ〜

と思うんです

そんな一人ひとりが

とても素敵な拠りどころになるといいね^ ^

nao

07:57 | 記事 nao [コメント:0]