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『心が回復するのを待ちましょう・・・』

2015年06月16日 | 未分類

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『心が回復するのを待ちましょう 時にはそういう時間も必要だよ』

時に人は悩み傷つき打ち拉がれることがある

何でもなく日々の生活を送っていても

それは突然やって来る

本当はじりじりと向かって来てるんだけど

日常の小さな出来事にかき消されてしまう

そういうときは静かに過ごすこと

もがいてももがいてもどうしようない事や時がある

自分の気持が焦ってしまってなにもかもおしまいだみたいに

でもおしまいにはならないんだな

自分の感情が高ぶったり納まり付かなかったりしているだけなのさ

だから時間が立つとどうってことない事って結構ないかい

なんであんなことで悩んでたんだべかってね

考えると腹が立つって言う人もいるけど

腹が立っているだけで何かが変わる訳ではない

だからそんな時は 

自分の心が回復するまで

おさまる所におさまるまで待つことだな

忙しい毎日を送っていると自覚している人はそうしたほうがいいよ

僕はそう言う時は『リトリート』することにしてる

『リトリート』という言葉は

性格リフォームカウンセラーの心屋仁之助さんのFacebookで知ったの

それまではその言葉自体は知らなかったけど

意味を知ったとき

いつも意識してやっていることと同じじゃんって思ったのさ

最近はあんまり頑張らないのよ

心が休ますような過ごし方を意識してる

明日は札幌で大好きな仲間達と逢って語り合うんです

楽しみです

そこでは好きな事しかしない

珈琲を淹れます

みなさんに美味しい珈琲を飲んでもらいたい

そんでもって皆さんが楽しく語り合えるようにしたい

ただそれだけ

明日楽しみです

ですから無理しないで心を休める時間を持つといいよ

(みやざきなおと)

19:27 | 記事 nao [コメント:0]

ひと言&一枚『人の心がどこに向かうかは・・・』

2015年06月15日 | 未分類

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『人の心がどこに向かうかは その人に任せましょう それより自分の心に責任を持った方がいいな』

人を変えようとしたり

人のせいにするの めんどくさいでしょ

となると一番手っ取り早い方法があるとすると 

自分をどうにかすることしかないんだな

人に嫌われてるんでないべか

人に無視されてるんでないべか

人が言ってることが気になるとかね

人が気に入るとか気に入らないとか

もうね そんなことはどうでもいいっていう感じかな

それよりもね 自分を大切に考えようよって話

でもね 自分を大切にするって言うことはどういうことかって言うと

自分のやるべきことをちゃんとやろうよっていう話

自分を悲劇の主人公とか 波瀾万丈だとか いじめられたとか

そんな出来事を羅列して自分を認めようではなくって

そもそも豊かな人間性を持ってるんだから

それを表現しましょうということなんだ

知識でも技術でもなくて

ましてや金でもない

自分にもっと親身になってみようや

自分の言っていることや

自分のしていることに責任を持とう

地球上のすべての人がそうできたら

すべてが解決するんだけどなぁ(みやざきなおと)

22:22 | 記事 nao [コメント:0]

『今日のひと言&一枚』③

2015年06月13日 | 未分類

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『マイナスの思考は プラスの思考への入り口だよ マイナスがなければ プラスへはたどり着かないだろうなぁ』


どうしてもマイナスな思考というのは、誰からも何処からも敬遠されがちですが、実はこれらの関係がないと、それぞれもう片方は存在があり得なくなってしまうんですね。

例えば、光は暗闇があるからその存在の価値がわかるし、その逆も又真なりなのです。

例えば、光しかなければ、光の存在は認められませんし、暗闇だけでは暗いという認識は持てないでしょう。

先人達の労苦があっての今です。

どちらが正しくてどちらが間違っているといことではありませんね。どちらが正でどちらが負という考え方ではなく、お互いにその存在を尊重し合っているのです。

別な表現をしてみましょう。

『人間万事塞翁が馬』ということわざがあるのをご存知でしょうか。中国のことわざです。

ある日のことでした、お爺さんが大変可愛がっていた馬がいました。この馬は、とても優秀で働き者でした。ある日、この馬が逃げてしまったのです。村の人たちは、このお爺さんのことを哀れんで慰めに行きました。するとお爺さんは悲しんでいるどころか「このことが幸福(プラス)にならないとも限らないよ」と言いました。すると、翌日、逃げ出した馬が、更に多くの野生の優秀な馬達を連れて帰って来たのです。それを見た村人達は、お祝いを伝えにお爺さんの家へ行きました。するとお爺さんは喜んでいるどころか「このことが災い(マイナス)にならないとも限らないよ」と言いました。その翌日でした。お爺さんの跡取りの息子さんが、馬から落馬して大怪我をしたのです。村人達は、今度はお見舞いにお爺さんの家へ行くと「このことが幸福(プラス)にならないとも限らないよ」と言いました。その数日後、隣国と戦争が始まり多くの男達が戦争に駆り出され、多くの男達が戦争で命をなくしました。しかし、お爺さんの息子さんは、幸いにも大怪我をしていて、戦争へ行くことはなく怪我が寝込んでいる間に戦争は終わり、息子さんの命は助かりました。

つまり、マイナスな出来事が起きたとしても、それがいつプラスにならないとも限らないということ、またその逆に時にプラスな出来事が起きたとしても、それがマイナスにならないとも限らないということなのです。

時にマイナスがネガティブな側面として捉えがちですが、見方や捉え方や考え方を少し変えてみると、別な側面が表れて来ると言うことです。

ということは、マイナスがなければプラスはないのです。プラスを考えるとき、プラスを目指すとき、様々なマイナスな側面から考えるでしょ?

例えば、私たちの仕事で言えば、ヒヤリすること、ハットすることがあるから、事故やネガティブやマイナスを防ぐことができるんです。

ですから、事故報告書を書いたり、そのために話し合ったりするのは、当事者達を責めたり、責任をとらせたり、ましてや起ったり、その存在を否定したりするためのものではないんですよ。

ですから自信を持って、誇りを持って取り組んで下さいね。

決してあなたはダメな人間ではないのですよ☺️

(みやざきなおと)

18:25 | 記事 nao [コメント:0]

『今日のひと言の意味①』

2015年06月11日 | 未分類

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やはり言葉の意味と言うか、こんな想いですよみたいなものがあった方がいいなと思いまして書こうと思います。

『私たち同じ人間の幸福とは 表面上は分裂分離という形に見えるが それぞれの行動を尊重し それでも共に行動していくということを 目指していくことである』

ちょっと小難しく思われますが、実はとても簡単なことなんです。

人は誰しも同じではないと言うことは解るとおもいます。もちろん考え方や行動もそうです。そもそも違うということが前提で世界は成り立っているのです。

それぞれの役目があって、それぞれが生きているわけです。自分にないことは、自分にないことが出来る人や考える事が出来る人が補ってくれています。また、その逆もしかりですが、そうしてひとつのジグソーパズルをはめていくかのように一つの絵を目指しているのだと思うのです。

人間の幸福というのは、違った価値観を持ったもの同士が自分のおさまる所におさまることで 出来上がってゆくものではないかと思うのです。

ですから本当は争わず、それぞれの行動や思想などを尊重してゆく様が大切なのだと思うのです。

違って当然であって、それでいいんです。

自分と違うからと声を荒立てたり、自分と同じくしようなんて画策したり、騙したり、欺いたりしなくてもいいんです。

しかし人間は未熟ですから、そのプロセスを通して、目指すという世界の中で学んでいるのだと思います。

これでいいんです。それでいいんです。

誰かの考えや行動が正しい訳でも、間違っている訳でも、なんでもないんです。

全ての人が豊かに幸せに生きるという選択をするだけで、世界は変わると思うのですが、おかしいですか?(みやざきなおと)

14:17 | 記事 nao [コメント:0]

『今日のひと言&一枚②』

2015年06月11日 | 未分類

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みなさん☺️おはようございます☺️

今日のひと言

『今日が全てではないが 今日が全てであるように生きましょう』

あのね、これはね、ひと言で言えば『一所懸命」に生きましょうと言ってるんです。

一生懸命ではなくて、一所懸命なんです。

一つの所で、一つの所を、一つの所に、命懸けで生きてみましょうと言うこと。

今日が全てではないけど、全てであるように捉えましょう。そうすれば、後も先もなく、「今を生きる」ことに真摯になるでしょ。

よく最後の日の如く今を生きるとか言うけど、それと一緒よ。

あまり深刻に捉えるのではなくて、それでも今ある命を懸命に生きている人もいるわけね。

特にあまり意識しない健康であると思ってる人に、考えてっていいたいのよ。

頑張らなくていいからさ、今を懸命に生きようよ☺️

そういうこと☺️

(みやざきなおと)

08:19 | 記事 nao [コメント:0]

『最近の出来事』

2015年06月10日 | 未分類

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先日旭川でリーダー研修を終了した仲間達が

飲み会に誘ってくれました

基本飲めませんが

最近NHKのマッサン効果で少し飲もうと言う気に調子づいていましたので

とても嬉しかったのです

例え飲めなくても基本的に気心が知れた仲間達と一緒の集いは好きです

だからまた7月1日の夜に再び旭川に集合することになりました

実はその時に聞いたのですが

このブログを結構観ている人がいることを聞きました

そんなこととはつゆ知らず

結構いい加減にアップしていました

ダメですね

でも強迫観念で書くブログは嫌なんです

前の記事でも書きましたが、最近Facebookなるものを楽しんでいます

前はなんだか使命感というか良く見せようとしていた自分がいましたので

うまく更新できなかったりすると何だかストレスを勝手に感じていました

でも、このブログだけは気軽に感じたことを書けるんですよね

Facebookは結構調子こいています

でもFacebookにしてもブログにしても

毎日何んでもいいから書いて楽しむことにしたんです

何だかまとまりのない話ですが、結局なんか書いたり、考えたり、発信したるすることが好きなんですね

まっいいかっ!

とにもかくにもこれからもよろしくお願いします

そう言えば、このブログの1番目に観たという今日の閲覧した人数が出る欄があるじゃないですか

なんだか密かに1人目を狙って争っている人たちがいるようです

この間、旭川の仲間達が教えてくれました

おもろいでんなぁ☺️

夜の12時を少し越えたところでHPを観ると1人目になるようです

今日はどちらが1人目だったのでしょうか?

今度コメントを書けるようにしましたので、どなたでも構わないので、ご意見、ご感想を是非書いて下さい

匿名、ペンネーム、偽名、何名でもかまいません☺️

皆さんのコメントもお待ちしています☺️ (みやざきなおと)

20:39 | 記事 nao [コメント:0]

『今日のひと言&一枚①』

2015年06月10日 | 未分類

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以前にも書いたが

Facebookなるものをしている

何気ない日常の出来事を掲載しているだけだ

以前アウルのHPで僕は毎日というか不定期ではあったが

私自身に伝わってきたことを言葉にして掲載していたことがあった

ある時からではあるが掲載をやめた

その言葉達は今パソコンのデーターの中で埋もれていたが

ふと気になり再び開いてみた

そこにはやはり人が生きてゆくための真理が書いてあった

最近その言葉をFacebookに掲載しているが

Facebookをしていないというかしない人のために

再びブログでも掲載しようと思う

人は例えばひとつの話を聞いたとしても

ある程度の時間が経過し

再び同じ話を聞いたとしても

同じ感想ではなく違った感想を持つ

確かに同じ話を聴いているのだが

決して同じ状況ではないということだ

同じような状況や同じような感想を抱くが

全く同じと言うことはありえない話である

自分の今いる状況や立場や境遇がそれを異ならせる

つまりいつも新しい経験をしているということである

などなと前置きはよしとして

今日のひと言&今日の一枚
『私たち同じ人間の幸福とは 表面上は分裂分離という形に見えるが それぞれの行動を尊重し それでも共に行動していくということを 目指していくことである』

(みやざきなおと)

10:10 | 記事 nao [コメント:0]

『時間』

2015年05月25日 | 未分類

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実はそれって頻繁に起きてること

正直に何気に自分を探っていると

例えば

真剣に研修会を受けているにもかかわらず

突然か必然が偶然か何かの拍子で

楽しかった旅行のことを考え

日本か世界かどこかに自分が行っているとか

欲しくてたまらない物のことを考え出し

その物を買っている自分を想像し

その時の気分までも感じているとか

その欲しい物が食べ物だったらその味や匂いや食感までもが想像されたり、或は蘇ったりする

そんなことを日常茶飯事経験してはいないだろうか

経験的に言うと、実は当たり前な主観的な現象と言える

もっと経験的な例をあげると映画がそれである

同じ時間帯の中でいろいろな出来事がすすんでゆく

それが自分の中で起るんだ

だから安心もでき逆に不安になることもある

最近、小中学校の時の友人、大学時代の仲間や先輩や後輩たちと交流する機会がおおくなった

その時、彼らと会話をしたり、SNSでやり取りする中で思い出すことがある

その時の光景や出来事、学校の音や匂いや温度、グランドの砂埃、

この仕組みが何らかの原因で不具合を起こすと

そこをまた取り繕う(適切な言葉かどうかわからない)ことで戻れなくなるというズレを感じる

そのことが日常的に起ったり起らなかったりが続くと

そりゃぁそうでない人たちから見るとおかしな人になっちまう

でもどちらが正しいなんて言えなくて

正しいと主張することは、正しいと思っている人が創っているルールの中で考えていることなんだ

何を基準に考えるかとかでまったく世界は変わるんだ

僕たちが正しい訳じゃない

誰かが正しい訳じゃない

そもそも正しいとかなんか存在しないんだ

(みやざきなおと)

07:28 | 記事 nao [コメント:0]

『自分の中で。。。』

2015年05月24日 | 未分類

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僕の中でいつも何かしら感じていたことなのだが

『とき(時間)』の中の主観的体験である

確かに僕は昨日そのことに目覚めた

それはこの瞬間の継続の中で

思考や気持(感情)さらには体感や五感までもが

過去や未来などの時間

ここやそこ、あそこやあの場所

あの人やその人

と言った具合に時間の中を飛び交うというか行き交う主観的な体験をするのだ

それはまさに瞬間に起る出来事の連続である

そして今(現在)この瞬間に戻る

よく「我に還る」というが

まさにその状態なのだ

過去、現在、未来はこの瞬間に起っている

もっと言うと自分が創り出す創造や想像までもが

この瞬間に起っているのだ

ここに何らかの不具合が起ると

それが今なのか過去なのか未来なのかの修整がつかなくなる

自分の力で修整ができていたものができなくなる

極論を言うと、それはそれでいいのだ

しかし厄介なのは自分以外の社会がそれを受け入れないことだ

そういう人は奇人変人病人となる

僕たちは自他共に、そのズレから起る様々な経験や体験や状態や状況を受け入れる又は受け入れないところからはじまる

(みやざきなおと)

09:05 | 記事 nao [コメント:0]

『アルテピアッツァ美唄』Second

2015年05月22日 | 未分類

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いつも僕は撮ってばかりで、僕の写真がほとんどありません。だから、そのことを察した妻が撮ってくれました。素敵な時間を二人で過ごすことができる幸せは、何事にも変え難いひとときでした。アルテピアッツァ美唄さん☺️有難う☺️

10:50 | 記事 nao [コメント:0]