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【心と思考と言葉と声】

2018年08月25日 | 未分類

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心と思考と言葉と声

ぼくの心や身体はいつも何かに反応している。

反応しているというよりも、感じていると表現した方がしっくりくるな。

その感じたことを思考に言葉として読まれるように湧き出てくる。

このことはぼくにとってはとても大事なので、書き留めるために肌身離さずメモ機能のついたスマホを常に持ち歩いている。

ぼくの書き留める道具はスマホなんです。書き留めると言うよりも、打つですかね。よりスムーズに活字に出来るんです。

降りてきたら?降りてきたら、ためらわずにメモ機能に打ち込む。

それは、突然にやってくるらしい。

で、不思議なのは、そうやって感じたことを声に出して喋り出すと、その瞬間に実際のそれとは違うと感じる言葉や内容に変わってしまうので、実際の声にはできないんだな。

これが不思議なりませんね。なんでだろうか?と、いくら考えても解らんのです。感じていることと、その後実際の声にした後に感じたことが、その感じ方が異なるんです。解ります?

ただひたすら、静かに思考や心の中から湧き出てくる言葉をスマホに打ち込むだけだと、しっくりくるのです。

心の声は、果てしなく、際限なく湧き出てくるんだな。

これは一体どういうことなのかは、自分にもわからないんだけど、実際がそうであるから認めざるおえないので、これからも出てきたものを、ただ出すんで、よろしくです^ ^👍

Naoto

04:37 | 記事 nao [コメント:2]

【逆をやる】

2018年08月24日 | 未分類

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【逆をやる】

逆をやるに反応してしまう。

どんな反応かと言いますと、ドキドキというか、ワクワクというか、ソワソワというか、なんかそんな感じ^ ^

ぜんぜんどんな感じかわかりませんよね(笑)

でもそんな感じ^ ^

今までしたことのないことをするとか、今まで選んだことにないことを選ぶとか、今まで行ったことのないところに行くとか、そんな今までにない経験をしようとすることが、そんな気持ちを湧き立たせるんだろうなと感じます。

同時に不安や心配も^ ^

でも、今はどちらかというと、ワクワク感が勝るな^ ^

昔は、不安や心配が勝ってたけどね。今もたまにあるかな。そういう時って、なんか自信がない時かな。

でも、一旦腹が決まるとブレないね。そこがいいんだろうな(笑)腹を括るまでは、ブレブレだけどね(爆笑)

だから前に進もうと思えて、自分を肯定できるんだろうな。いいことだと思う。

逆をする。

いつもならこうするだろうなの逆をやってみることも、自分の可能性を広げるチャンスかもしれないよ。

ぼくは、今までそうしてきたようだ(笑)

Naoto

14:35 | 記事 nao [コメント:0]

【やりたいことをやれ】

2018年08月24日 | 未分類

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今回、本の断捨離もした。

やはり本は、人の心がこもっていると勝手に思っているので、生かそうと思い、小規模多機能地域交流室に「アウル文庫」なるものを、近々開設しようと考え準備している。

その中でも、断捨離せず手元に置いておこうと思う本がいくつかあった。

その中でも、会社を立ち上げる前に手に取り、ぼくに生き方のインスピレーションを与えてくれた本がある。

本田宗一郎著「やりたいことをやれ」(PHP研究所)である。これは、ぼくのBibleの一冊にもなった。何かの困難にぶち当たった時に、何度も何度も見開いた本だ。

本田宗一郎という男の生き方に惚れ、ぼくの会社の車は全てホンダ車である。最近、浮気をして一台だけ、トヨタにしたが、ぼくが乗ってきた車はずっとホンダである。

今日、久しぶりに何気なく本を見開いてみた。ぼくはいつもそうしている。
何も考えずに開いたページに、今を生きるヒントがあると、経験上信じているからだ。

今日、久しぶりに開いて、鳥肌が立った。まさしく、今ぼくが感じている出来事に対する示唆が書いてあった。びっくりした。

そのページにはこう書いてあった。

ーーーーーーーーーーーーーーー

「未来へ進ませる力」

現在、この瞬間は過去でもあり、未来でもあるわけだが、過去における知識の蓄積は、未来に役立てられるものでなければ、それは、“知ってる”という名のお荷物である。極端にいうなら、その人の現在ならびに未来を毒する、亡霊なのである。こやしにならぬ過去なら、捨てたほうがいい。それを捨てれば未来が考えられる。私などには、そうした過去の知識がないから強い。
私にあるのは、教わって知った知識とともに、実行して知った知識、つまり経験である。このふたつが、私を未来へ進ませる力になっているのだ。私は他人から教わったことや本に書いてあることを鵜呑みにはしなかった。それらはみな他人の過去だと、知っていたからである。

本田宗一郎

ーーーーーーーーーーーーーーー

何ということだ‼️

雷⚡️が落ちた衝撃を受けた(笑)そんな訳はないが、それだけタイムリーな瞬間だった。

鵜呑みにした訳ではないが、今のぼくを後押しするかのようなメッセージだった。

もう少しやろうと思う。

もう少し生きようと思う。

もう少しいい加減に。

もう少し適当に。

もう我慢をしないで。

もう少し

やりたいことをやろうと。

Naoto

07:40 | 記事 nao [コメント:0]

【悲しいこと】

2018年08月23日 | 未分類

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【悲しいこと】

一番悲しいと思うことは、人と人とがいがみ合うことです。

そのいがみ合いは至る所で起こっています。

特に、自分の身近なところで起きた時は、悲しくて悲しくて仕方がありません。

人間ですから、ウマが合う合わないはあるでしょう。

自分の正しさを振りかざし、相手の行動と結果だけで、人の存在価値を決めてしまうのは、どうも合点がいきません。

同じ目的を持って仕事をするもの同士が、お互いに配慮し合って本音で支え合うように仕事をすることで、最良の関係づくりと最良の仕事ができると思うのですが、ぼくは甘いでしょうか?

残念でなりません。

あなたのことが嫌いなことが本音ではありません。

本当は、あなたが発した言葉が、とてもとても冷たく感じ、こころの底から自分の存在を否定された感じがして、とってもとっても悲しい気がしたからです。

これが本音です。これが本当のことです。

人は、この本音を伝えずに、表面上浮かび上がってきた、好き嫌いの感情だけで片付けてしまい、本当のことが伝わらずに終わってしまうのが、ほとんどのへんてこりんな人間関係の仕組みです。

確かに、好き嫌いの感覚は、何かを判断する時の基準にします。

一番大切なことは、お互いに、本当のことを伝え合うということです。ほとんどの関係は、ここを飛び越えてしまっているところに問題があります。

お互いに、解り合おうとし、その上で、解り合えなければ、仕方がありません。

その時は、それまでの関係という他はないでしょう。

それがメッセージです。

これ以上、悲しいことが起きないように願っています。

Naoto

21:35 | 記事 nao [コメント:0]

【生きる】

2018年08月23日 | 未分類

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【生きる】

雨の日も 風の日も 
吹きすさぶ 雪の日も
ただ起きて 息をして 
ただここに 生きてゆく
悲しい日も 重たい日も 
晴れの日も 楽しい日も
飯を喰らい クソをして
また今日も 繰り返し
明日も 悲しみや 
苦しみが あるだろう
昨日も イヤなこと 
つらいこと あったから
誤解されて 叩かれても 
そうかそうかと 生きてゆく

悲しくて バカにされて 
うまくいかず 悔しくても
焦らずに 急がずに 
ただひとつ 目の前のこと
ただ感じ ただ思い 
やりたいこと 淡々と
飯を喰らい クソをして 
また今日も 繰り返し
明日も 楽しいこと 
笑えること あるといいな
昨日も それなりに 
楽しいこと あったから
また今日も 笑いながら 
そうかそうかと 生きてゆく

(心屋仁之助「生きる」より)

いつも、そうか、そうかとぼくの話を聴いてくれる大心友です^ ^

そして、最後に一言アドバイス^ ^
兄貴です^ ^👍

感謝です^ ^

Naoto

07:31 | 記事 nao [コメント:0]

【言えると癒る】

2018年08月22日 | 未分類

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【言えると癒る】

「物言えば唇寒し秋の風」

芭蕉さんもいいこと言うなぁ〜と感心しました。

だがしかし(笑)

「言えると癒える」

と、ジンさんも上手いこと言ったと感心。

どんな自分にでもOK^ ^を出せるといいですね。

ぼくには、まだそれができません。

疲れたら疲れたと言える
寂しいを寂しいと言える
悲しいを悲しいと言える
辛いを辛いと言える
悔しいを悔しいと言える
嫌いを嫌いと言える
楽しいを楽しいと言える
嬉しいを嬉しいと言える
好きを好きと言える

そう自分の心の声に耳を傾ける。

出来るだけ自分の本音を行動に移すことを実践中。

こうして、少しでもこころの声を発信することがぼくの支え。

毎朝、白湯をいれてくれる奥さんにありがとう^ ^と言う。

Naoto

07:09 | 記事 nao [コメント:0]

【因は我にあり(本質編)】

2018年08月21日 | 未分類

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【因は我にあり(本質編)】

すべての要因や誘因は自分の中にある。
だから、まず何よりも先に自分自身を見つめること、そして自分が変わることが大事であることを、常々伝えてきました。

付け加え

自分が変われば、相手が変わる
相手が変われば、心が変わる
心が変われば、言葉が変わる
言葉が変われば、態度が変わる
態度が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、運が変わる
運が変われば、人生が変わる

と。

しかし、この年齢(56歳)に達するまでに、様々な出来事と経験がありました。その経験を踏まえると、若干「因は我にあり」ということのニュアンスが変化していることに、苫小牧の心友と話をしていて、気がつきました。

「因は我にあり」ということ、それは、すべては「自分がはじまり」であるということです。自分を原点とするはじまり、スタートライン、起こり、つまり自分の発信を尊重するということです。

自分の最大限自分自身の本音を、出来る限り行動に移すことが、今はしっくりとおさまります。

要(かなめ)になるのは、この自分の本音です。つまり「因」です。

それは、単純に描いている夢を抱いている時の感情論ではなくて、自分が自分自身で居られる瞬間に感じる、自分の本音や前提のことを言います。

本来の自分自身で在り続けるために、自分の本音と向き合い、出来るだけ可能な限りそれを行動に移していくことで、誰かや何かの顔色に合わた、自分の本音を抑え込んだ反応ではない、素直に応じた姿で居られるかです。

自分の出来ること、つまり、自分の本音で感じた出来る限りのことがまだあるにもかかわらず、それをやらずに、文句や不平不満を言い、違和感や不快感をあらわにする人がいますが、それを、やめるということです。それが、「因は我にあり」の本質です。

つまり、「因は我にあり」の本質の根底に流れているのは、本来の自分自身に還ることでした。

そして最終的なゴールは、それぞれが心地よく、同時に心地よい関係を目指すことです^ ^

ですので、ずっとぼくが伝え続けてきた「因は我にあり」は、知らないうちに育まれていたのでした(笑)。

Naoto

07:12 | 記事 nao [コメント:0]

【因は我にあり】

2018年08月20日 | 未分類

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因は我にあり

愛は求めるものじゃなくて、すでにそこに在ることに気づくことかも。

物理的に目に見えるものではないけど、見つけるっていうか、あっ!あった〜って感じてゆくもの。

愛は求めちゃいけないって言ってるんじゃなくて、もう自分の周りにはたくさんあるんだと気づくというか、そこを感じる自分でいられるか?まずは、そこを感じようやってこと。

あっ!それもそうだねって、ここにもあったわって感じてゆくこと。

そう感じる習慣がつくとね、小さなことでも愛を感じると思うよ。例えば、今朝美味しい珈琲が飲めたとかね。愛には、大も小もなければ、そもそも愛するも愛さないもないから、そこに在るのは「愛」が存在するだけ。

せっかく色んな経験をするためにこの世に来たんだから、色々と経験して感じてあの世?に帰った方がいいよ(笑)

昨日は感じたなぁ。
たくさん感じたなぁ。

ぼくは、沢山いる人に中にいるのが苦手なんです。なんでかって言うと、多分、傲慢だから(笑)。

色んなことを感じてしまうので、自分で在り続けることが出来なくなるというか、自分で在り続けることに疲れてしまうというか、気をつかうというか、合わせてしまうというか、これ難いね、わかります?

そうなると苦しくなるのです。

でも、昨日のような気心の知れた仲間と居ると、否定もされないし、心地よくいられるから、気持ちがいいのです。と、集まる毎に感じるのです。

「あ〜お前は間違ってるよ。多くの人たちはあなたを責めたり、傷つけたり、非難したり、罵声を浴びせたり、陰口を叩いたり、うわべだけの付き合いだったり、そもそも信頼していなかったり、そんな傲慢な人たちではないよ。そもそもそう考えるお前が傲慢なのさ。その傲慢さを経験するために生まれて来たんだよ」と。

そうして仲間の存在に感謝している自分が居るのです。

ありがとう^ ^です^ ^

Naoto

07:53 | 記事 nao [コメント:0]

【腹を括る】

2018年08月19日 | 未分類

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腹をくくる

NHKの連ドラ「マッサン」

マッサンがエリーと離婚するかどうか思い悩んでいる時、エリーがスパイの容疑で憲兵に連行されそうになりました。しかし、海軍省の指定工場だったおかげで、連行、取り調べは免れました。

マッサンは決めました。エリーと日本で暮らしてゆくことを。

翌日、会社の社員を集めて、その旨を伝えました。

その時、虎さんが一言言ったのです。

「マッサン!腹括ったんだな!そんならワシら、全力でマッサンとエリーを応援すっからな!」と。

腹を括るとは、覚悟を決める。いかなる事態にもひるまないよう心を固める、と書いてありました。

人間、腹を括ると、想像もつかないほど大きな力が働く、と体験的にぼくは感じています。

要は、本音で生きるか、自分を中心に添えて生きるか、ということだと思うのです。

これが、なかなか難しいのです。

いきなりですが、マジンガーZって知ってますか?
ぼくの大好きなヒーローです。

そのマジンガーZの頭の部分に、ホバーパイルダーという乗り物があるんだけど、それがマジンガーZの要の操縦席です^ ^

例えば、マジンガーZが自分の器だとします。ホバーパイルダーは、自分の器を操作する肝心要のところなので、そこにはいつも自分が座っていなければならないのですが、その肝心要の操縦席に自分が座っていない時があるんです。

時にぼくは、その肝心要の操縦席に別な人やものや事を乗せて操縦させてしまう事が度々あるんです。つまり、自分の器を別の何かに操作させてしまっている時があるということです。

自分を外に放り出して、自分が気になってる人とか、偉い人とか、苦手な人とかを操縦席に座らせたり、時間やお金やあらゆるものや事が入れ替わり立ち替わりね(笑)

本音で生きるというのは、自分が操縦するということ。例えばどんなこと(現実)が起きようともです。

例えば

好きなことは好きと言うこと。
嫌なことは嫌と言うこと。

そんなシンプルなことを、行動に移すことなんです。

でも僕らは結果を期待しちゃうから、また迷いの中に入り込んでしまう、そう言う時に、自分の操縦席に誰かや何かが座っているのね(笑)

期待すると、自分自身で在り続ける事が出来なくなるのね。

つまり、マジンガーZの操縦席に誰かや何かが座ってる状態。誰かや何かに自分の器を操縦させてしまうんだ。そうなると、操縦席に座っているか誰かや何かに合わせた行動になってしまい、本当の自分を見失ってしまい、結局本当の自分で在ることとのギャップが苦しみや、悩みや、悲しみや、悔しさや、嫉妬や、絶望を生んでるとしたら、どう?

つまり、誰かに影響された思考や行動をとってしまい、人間関係の崩壊を迎えることになる。

そんなんでいいのだろうか?

理想と言われるかもしれませんが、自分が自分で在ることが、どのような結果になろうとも、期待せず、やることをやるという大事なことを貫くことではないかと、ぼくは思っている。

マッサンとエリーたちのように、国籍や人種や言葉や文化や伝統、ましてや時代に翻弄されても、人間で在る、自分で在るという誇りのみが、自分自身を救うのだろう、と。

心地のいい人と、心地のいい処で、心地のいい音楽やものたちに囲まれて、心穏やかに過ごすことが、ぼくたちの本来の姿。

自分を生きてますか?と、自分に問いかける。

Naoto

07:19 | 記事 nao [コメント:0]

【そもそも、うまくいくとかいかないとか、そんなもんあるんだろうか?】

2018年08月18日 | 未分類

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そもそも、うまくいくとかいかないとか、成功とか、失敗とか、善とか、悪とか、健康とか、病気とか、そもそもそんなもんあるんだろうか?

そう感じる時がある。

誰かや何かの仕業じゃないかと、穿った見方にもなる時がある。

そもそも、何の疑いもなく誰かや何かを信じて生きてきたけれども、ほんとにそうなんだべかって自身に問う。

今日、面白い話を聞きました。

オセロをこよなく愛するお婆さんがいるのですが、オセロと排泄の関係を研究しているというのです。つまり、オセロをした日の排泄がうまくいく頻度を調べているのです。その結果が興味深い。オセロをした日は、排泄の失敗が少ない若しくは、失敗しないと言うのです(笑)。これ凄くないですか?

純粋に感動しました(笑)

その視点が、目から鱗状態でした。なので、公の場で発表するように、手立てを講じましたんで、近々詳しくご紹介できるといいな〜^ ^(笑)

最高ですね。

そこに「認知症」とか言う言葉はないんです。そのお婆さんのいい気分と居心地の良さ、楽しみや豊かさやワクワクを追求した結果だけがあるだけなんです。

目指すのは、そこなんですよね。認知症ケアじゃないんですよ。
わかります?

目指してんのは、究極のところ、お爺さんやお婆さんたちの幸せだから、ここはブレるわけにはいかないんです。ここさえブレなきゃ、なんも怖くないんです。純粋に、いい気持ち、いい気分でいること、居心地のいいところにすること、だから、変な完璧は目指さない。そこにいる仲間と出来ることをすりゃ〜いいんだから。

もうね、すでにそこに在るんだよ。全部、そこに居る人達が持ってんるんですよね。そこに在るものをお互いに認め合えば、と思えば気持ちが軽くなるし、うまくいくんだけどなぁ〜^ ^

Naoto

09:26 | 記事 nao [コメント:0]