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『クリスマス』

2014年12月25日 | 未分類

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メリークリスマス

何教徒でもないのですが

毎年クリスマスを祝うというか過ごします

突然ですが

私は過去に沢山の過ちをおかしてきました

時に嫉妬深く、相手を思いやれずに、自分の意のままに操ろうとしていたり、とても寂しがり屋で、弱虫で小心者なのです

相手の自分らしさと自由を大切に思えず、相手を束縛し私の想いの篭に入れて、自分だけ安心していたいという大いなる勘違いをしていたのです

ですから、自分勝手な想いと押しつけで、一緒にいた大切な人を失った経験があります

その時は、理性を失い、自分でも何をしているのかを冷静に判断する事ができていませんでした

その時の事を思い出すたびに胸が苦しくなり、穴があったら入りたいくらいです

今となれば、その時のことを冷静に見て、一つひとつの自分の行いや言葉や感情を評価し、どうすれば良かったかを考える事ができます

そのことが今日を生きる糧となっている、と言いたいのですが、なかなか思うようにはいかない未熟者です

今日、二度とそのような過ちを繰り返さないように、再び生きようと努めていこうとあらためて思える日となりました

有り難う  メリークリスマス


みやざきなおと

22:12 | 記事 nao [コメント:0]

『それぞれの人生』

2014年12月23日 | 未分類

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人はいつの世でもいつの時でも


今よりも良くなりたいと思うものです


仕事もお金も家族も人生もなんもかんも、今よりもいい状態になりたいと願い思うものです。


それが自然の摂理というか真理なのでしょうね


それが『生きる』ということなのでしょうね


例えば、辞める時なんかは特にいろんな理由や訳が理屈や言い訳があります


僕も以前お世話になっていました幸清会を辞める時もそうでした


今よりも良くなりたいと願ってのことでしたね


すべて今よりも良くなる事を願っていることがその根底にあるんだと思うんです


人から見れば、逃げていると言うことも、よ〜く考えて見ると、今の状況よりもいい状況でいたいという願望の変換だと考えるとどちらも真理なのでしょうね


今の所をもっとよくなるために奮闘している人


今の自分をより高めたいと奮闘している人


どちらも『良くしよう』『良くなりたい』と願っているんですね


でも、良くしようとする起点、良くなりたいという起点が異なるからですね


方や職場の事、方や自分の事という具合にです


この両方が同じ場所で一緒に良くなるようにできるといいですね


そのために頑張ってるんですが・・・なかなかうまくいきませんね


でも、僕には智恵を絞り出し、協力してくれるスタッフがいます


だからなんとかなってますが、また我慢の時が訪れたようです


コツコツ真面目に生きてゆくしか仕方がないようです


あはははは


(みやざきなおと)

12:29 | 記事 nao [コメント:0]

『大掃除』

2014年12月21日 | 未分類

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多分僕だけが知らなかっただけなのだと思いますが


新聞紙でガラス窓を拭くといいみたいですね


奥さんに聴いてみたところ


「新聞紙のインクが膜をはって、汚れをとってくれる」そうです


少々力が必要ですが、窓の汚れが奇麗にとれるわけです


身近にあるもので、こんなことができるなんて・・・


師走です


皆さんのところでも大掃除が始まっているところでしょう


出来るだけお年寄りを巻き込んでやりたいものです


なんて、たわいないお話で失礼しました  アハハハハ


みやざきなおと

11:19 | 記事 nao [コメント:0]

『トム』

2014年12月20日 | 未分類

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名前は「トム」。


私達が勝手に名付けたので、本当の名前はわかりません。


最近、家に通うようになりました。


野良猫の通所介護(デイサービス)をしています。(笑)


サービスは、食事(猫のエサと牛乳)の提供だけです。(笑)


なかなか触らせてもらえませんので、タクティールは難しいです。


触ろうとすると「シャー!」と言いながら噛みます。


毛並みは良く、ケアはされていると思います。


これから厳しい冬に突入して行きますが、彼か彼女かわかりませんが暖かく見守っていきたいと思います。


時折、このブログで近況を報告しますので気にかけて下さい。


みやざきなおと

16:49 | 記事 nao [コメント:0]

『認知症ケア・ケアカフェ』開催決定!(伊達版)

2014年12月18日 | 未分類

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いつも悶々としていたことですが、ついに行動をおこすことにしました。

何をするかと申しますと

『認知症』が切り口とはなりますが

『認知症ケア』をする人たちをケアする場を創りまーす。

専門職をケアするなどとおこがましいのですが

主体的に参加することによって、いろんな方々と繋がりを持ったり、お話しすることでちょっとストレスを解消したり、仕事以外でお話しする機会を得ることで違った一面が垣間みれたりと、参加者それぞれに効果というか刺激というか、プラスに働くといいなと思っています。

まずは、専門職から・・・

さあ、これからのことを話そうか!


みやざきなおと

16:08 | 記事 nao [コメント:0]

『育てる』

2014年11月29日 | 未分類

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よく質問されることのひとつに『人材育成について』があります

正直申し上げますと、自分ではよくわかっていないようです

そのことを人前で格好つけてなんだかんだと言うことはありますが

正直なところまったく解っていないように思えます

もし、お知りになりたい方がいらっしゃれば、世の中には人材育成に関する書籍があふれていますので、そちらの方がよろしいかと

ちなみに私はいろんなことに行き詰まったときは、本屋さんに出掛けて「自己啓発」のコーナーの前に立って、その時の自分の直感で「これだ!」という本を買うようにしていました

何度も、何度も行き詰まりました

まったくモチベーションが上がらず途方に暮れたこともありました

自分なりの折り合いの付け方や自分にとって都合のいい解決法でいいんですよ

やってられないことなんて山ほどありますよ

そんな時に本屋さんに行くんです

そこにはこれでもか!ってなほどの本がありますから

私も数えたことはありませんが、何冊も買いあさりました

それだけ行き詰まったわけですね

ただ残念なことに、買いあさっただけで、読みあさったわけではないのです

だいたい見出しや表紙を見ただけで解ったつもりになっていたいい加減な私のすることですからね

そりゃあ、お金を出して買った訳ですから、おいしいところや自分の直感で響いたところは活かさせていただいたことはあります

しかし実際のところ読みあさりはしてはいないのです

何故ならば、読書が大の苦手でして、子どもの頃は本を一冊読破したことが一度もないという、本当に大の大の大の苦手といよりも、好きではなかったのです

それは今でも変わらないと思います

そりゃあ大の大人になりましたので、本を最後まで読み切ることができるようになりました

そんな些細なことに喜びを感じています


話がそれてしまいました

人材育成についてでした

スタッフの皆さんはどう思われているか解りませんけれども

わたし自身は、教育しているつもりはまったくないのです

ですから、私が追求していることも日進月歩変化する事ですので、極端な言い方をしますと、今日、「右」と伝えました事が、明日には「左」になったり「真ん中」になったりすることもあるのです

真っ当に物事に取り組もうとすると、仕方なくと言いますか、否応なくと言いますか、その変化の中で日々の支援を展開していかなければならないわけです

ましてや生きている人間同士が生活を共にするわけですから、自ずと無常の世界である事は言うまでもないでしょう

ですから、スタッフには社長はコロコロ変わると思われているかもしれませんね

悲しいですけど、仕様がないですね。それが真実ですから

わたくしにできることがあるとすれば、常に追求し、コツコツとコロコロ変わりながら、今よりもいい状態になるようにしてゆくことですかね

そして、私が彼らにできることがあるとすれば、私は私のやるべきことをやり続けることと、彼らが自分自身で自分を高められるような仕組み(システム)や環境を創ったりすることでしょうか

基本的に人間は自分を高めたいとか、今よりも良い自分でいたいとか在りたいと思っていますから

自分を高められるような仕組み(システム)を用意することが、わたくしの仕事だと思うのです

それでも自分を内観してみますと、「相手の高まり」と言うものを自分自身の内に求めてしまうのです。何事も思うようにはならないと解っていても、自分の内面に起る「相手への期待」にいつも心が揺れ動くのです

更に内観をすすめますと、その心の内に起る「相手への期待」は、勝手に比較するようになります。つまり、相手の成長が私の期待と異なりますと私の心の中で争いが起りだすのです

それは形を変え、内なる怒りや嫉み、不満や愚痴になってゆくのです

結局、自分の心の中に起っているこのやり場のないこれらの感情は、相手に向けられ、悪いのは「私の期待」に応えることのできなかった相手のせいになるのです

ですから、最終的に「相手への期待」は人間関係をダメにしてしまうのだと思うのです

勝手に期待されてしまっているとすれば、たまったものではありませんね

ですから、究極は自分で目標を立てたり、その目標に向かって頑張れたりという環境や仕組みを創り用意するだけでいいのだと思うのです

そしてその時々でお互いに確認し、その都度未来に向けて話し合ってさえしてゆけば、人は勝手に育ってゆくものとだと思うのです

50歳を過ぎて少しずつではありますが解ってきたことでしょうか。

ですから『人材育成はどうされていますか?』の質問の応えは

強いて言うならば

『その気にさせること』でしょうか?

みやざきなおと

※写真は、和田さんと知床旅行に出掛けた時に、夕張に立ち寄って『幸せの黄色いハンカチ』のロケ地に行った時の写真です。

19:42 | 記事 nao [コメント:0]

『人と比べる、自分と比べる』

2014年11月15日 | 未分類

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昔々、お釈迦さまが言いました。

「『自分はより優れている』と比べないように。『自分はより劣っている』とか『自分は同じくらいだ』とも比べないようにするといい」(『径集』スツタニバータ第九一八偈)

この言葉の中には、優越感、劣等感、同等感という3つの感情が含まれています。

他人と比べて「自分のほうができる」と比べて優越感を味わい、「自分のほうが劣ってる」と劣等感を覚え、「同じくらいだ」と同等感で安堵するのです。

人間の脳みそは、いつも「上だ!」「下だ!」「同じだ!」と行ったり来たりで、本当に落ち着かない日々を送っているのです。

以前も取り上げました『慢心』がそれです。

そうなると心が乱れ疲れ果ててしまいますね。

この時季になりますと、インフルエンザの予防策としまして、お年寄りの生活の場の「湿度」が気になり出します。

先日、毎日の報告の際、何気にスタッフに湿度を尋ねましたところ、「40%くらいです」と返答。

湿度が低い事に対する危機感が感じられなかった(勝手に)私は、そのことに納得できず、電話口で気づかせようと問い正す始末。トホホホ。

その時の私の心の中を内観してみますと、「自分と比べてどうか」「自分だったらこうするのに」と、様々に比べて自分の正当性を主張し、相手を屈服させ優越感を抱きたいだけなのです。

挙げ句の果てに、過去の自分と比べたりするんです。例えば「自分の時はこうしたのに」と「のに」がつきますね。

ある決断をした際は、特に自分の心が揺れ動くのを感じます。

でも、その姿を周囲に知られない様にするあまり、虚勢をはったりする自分がいるのです。それを見栄っ張りとか虚栄心と言います。

引っ込みがつかなくなると、自分を守るためのもっともな言い訳や立場を利用した強引な意見が幅をきかせることになります。そのことを、意地を張ると言います。

その内容はもっともで、自分を守る事で必死ですから、その正当性、妥当性、真実性に富んでいます。相手は何も言えなくなってしまいますね。そのことが、周囲が捉える私像が出来上がって来るのだと思うのです。

その事に気づかない振りをしている私は「周囲が勝手に感じているだけでしょう」と嘘ぶるわけです。

本当は何もかも解っているくせにです。

50を過ぎた私を内観する度に、嫌な老い方をしないようにと、今のうちに比べる癖や心を捨てる修行、降りる修行を日々行っているところです。

ご迷惑をお掛けしております周囲の皆様、どうかお許し下さいませ。

いやはやなんとも。。。。。

みやざきなおと

20:25 | 記事 nao [コメント:0]

『生活健康スケールについて』

2014年11月15日 | 未分類

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帯広の皆様へ(11月12日のGH協会十勝ブロック研修会参加の皆様)


『生活健康スケール』ですが、アウルの玉手箱に掲載してあります。


よろしくお願い致します。


みやざきなおと

16:38 | 記事 nao [コメント:0]

『変わること』

2014年11月01日 | 未分類

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健全な人は、相手を変えようとせず自分が変わる

不健全な人は、相手を操作し、変えようとする


私たちは、様々な人間関係の中を生きていますから

職場、家庭、地域、学校などがそんな事が起こりやすい所ですね。

時にぶつかることもありますし、相手が上司であれば、問答無用であったりと、そりゃ大変です。

自分の考えと違うとか、間違っている、とかね。

「本当はどちらが正しいとか悪いのか」という『原因』を追及することはもうやめたほうがいいね。無駄だね。

仕事や家庭だとかには人を裁くような人は必要ないですね。

「どちらが悪かったのか」ということに時間や労力を費やすくらいならば、その分未来の解決に費やす方がはるかに生産的だと思うね。

だから、実際には自分の上司や部下、配偶者などに非があったとしても『今、自分にできること』だけを見ればいいね。

もしもどうしても相手に気づいて欲しかったら、気づかない相手を責めるのではなくて、自分の伝え方を変えたり、自分の言葉や説得力を高める努力だとか、周囲に信頼される努力をする事だと思うな。

健全な人はね、例え100%相手が悪いという状況であったとしても
「今、自分にできること」だけに情熱を注ぐ人だと思う。

不健全な人は、過去を愚痴り、他人の悪口を言い、自分が被害者だと訴えて同情を求め、自らは何も行動を起こさない人だと思う。

俺はまだまだだな。。。あはははは。

あなたはどちらを選びますか?


※写真は夕焼けの羊蹄山です。

みやざきなおと

22:47 | 記事 nao [コメント:0]

『手』

2014年10月16日 | 未分類

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北海道認知症グループホーム協会のFacebookにも掲載しましたが

この手の持ち主は、カスベの煮付け、カレイの煮付けが得意中の得意。

なまらうまい。

介護報酬がどうなるかが関係各位の一番気になるところなのでしょうが、私達にできることはただ1つ。

支援の全うな追求(追究)をし続けることです。

彼女がカスベの煮付けを作っている姿の支援をお金に換算することができますか?

グループホームは、他のサービスと全くシステムが違いますから、単純に較べてその違いをもって、報酬を問うのは如何でしょうか?

カスベの煮付けを最初から最後まで、主体的に料理することができるように、次第に難しくなる変化(認知症に伴う)にも応じられるように支援を考えることができるように、グループホームという仕組みは考えられました。

そもそも、グループホームがまだなかった時代に、認知症の状態にある人への支援の在り方は、彼らが生活に障害があるという視点に立って、考えられた仕組みです。

ですから、他のサービスからの発展的な仕組みなのです。決して他のサービスより優れているとか、ケアの善し悪しをあぶり出そうとしてきた訳ではないのです。

生活をベースに彼らの支援を考える事で、認知症による不自由が緩和され、その人がその人の意思で生活が保たれるように支援が展開される場所なのです。

ということは、自ずと地域の中で生活しているのは当たり前。

とって付けたかの様に、『地域と関わりを・・・』ではなく、そもそも地域(まち)の中に存在していることを自覚することです。

今更ながら、グループホームは『地域の拠点』と声だかに叫んでいるようですが、真っ当にやっていれば、すでに地域の中の拠点になっているはずです。

今しなければならないことは、他のサービスとの比較や非難ではなく、自分たちの本来の支援の姿を思い出す、その実践を示す事です。その支援の本質を問い続け示す事です。

この写真の手の持ち主が、できるだけ長くカスベが煮付けられるように応援できればと考えています。でも、いつかそれも出来なくなる日が来るでしょう。その日は必ず来るのです。

この国は、いったいどこに向かっているのでしょう?

私は見えています。

少しでも長く、彼女の煮付けが食べられる日々を送り続けられる国にしたいと。。。
そして、いつか煮付けられなくなっても、煮付けられる前のカスベに触れられて、煮付けられる音や匂いが感じられて、自分では食べられなくなったとしても、自分が煮付けていた頃の自慢話を思い出をし、カズベの煮付けをおかずに食卓を共にでき。。。そして最後は。。。

皆さん、そんなの理想でしょうか?

みやざきなおと

06:37 | 記事 nao [コメント:0]