log

『目指しているもの?』

2018年02月18日 | 未分類

ファイル 1144-1.jpeg

何かを目指しているのかなぁ

ただこの存在が誰かや何かへの癒しになればいい

そう思ってやってきた

いいのもは自分に取り入れそうでないものは心を閉ざした

たくさんの誰かの考え方ややり方を目指した

それもいいけれども

しかしそれは

本来持つ自分の価値というか在り方というか

そんなものを紡ぎ出すためだった

自分と同じになるわけでもないし

自分と同じにしようなどとも思わない

ただ自分はどうするかしかなかったし、ない

そしてそれは

全ての人との関係で起きる神秘でもある

選択はそれぞれにある

どう選ぶかは自分にしかできないのだ

さぁ僕らはどうするかを選ぶことができるんだ

どうする?

12:49 | 記事 nao [コメント:0]

『施設長の人財育成』

2018年02月17日 | 未分類

ファイル 1143-1.jpeg

よく質問されることのひとつに『人材育成について』があります。
正直に言うと、自分でもよくわかっていないのではないかと思うのです。なのに、人前でなんだかんだと言っていることに矛盾を感じます。
たぶん正直なところ自分自身では、スタッフを教育しているつもりないからだと思うのです。
もっと掘り下げて正確に言うと、教育したがっている自分とそうでないと主張する自分とが葛藤しているんです。
教育したがる自分はもうどうしようもないんで自問自答の中で自分に対して「へ〜そうなんだ」ってその都度応じてます。
でも、もう一人の自分は、彼らが自分自身で自分を高められるような仕組み(システム)や環境を創ることで、彼らがその気になった時にいつでも自由に学べるようにしておくことが私の仕事だと思っているんです。
基本的に人間は自分を高めたいと思っているし、今よりも良い自分でいたいとか在りたいと思っていると思いますから、自分を高められるような仕組み(システム)や状況を用意することで、ストレスなく学べると思うのです。
それでも教育したがる自分は、スタッフへ期待を持ってしまいます。
何事も思うようにはならないと解っていても、自分の内面に起る「相手への期待」にいつも心が揺れ動きます。
更に内観をすすめますと、その心の内に起る「相手への期待」は、勝手に誰かや何かと比較するようになります。
つまり、相手の成長が私の期待と異なると私の心の中で争いが起りだすのです。
それは形を変え、内なる不安や不満や愚痴になってゆくのです。
結局、自分の心の中に起っているこのやり場のないこれらの感情は、相手に向けられ、悪いのは「私の期待」に応えることのできなかった相手のせいになるのです。
幸いなことに、その内なる声や感情は表には出してはいません。(今日初めてSNSで投稿した^ ^)
もし出てしまうと、「相手への期待」は人間関係をダメにしてしまうと思うのです。
勝手に期待されてしまっているとすれば、たまったものではありません。
ですから、いつでも学べる環境や仕組みを創りだしていればいいのだと思うのです。
そしてその時々でお互いに確認し、その都度未来に向けて話し合ってさえしてゆけば、人は勝手に育ってゆくものとだと思うのです。
55歳を過ぎて少しずつではありますが解ってきたことでしょうか。
ですから『人材育成はどうされていますか?』の質問の応えは
強いて言うならば『いつでも学べる機会と環境を創造し、さらに自分を育もうと、その気にさせること』でしょうか?

11:48 | 記事 nao [コメント:0]

『施設長のつぶやき』

2018年02月16日 | 未分類

ファイル 1142-1.jpeg

わたしたちの介護という仕事は、人間の「生きる」という本能の部分に働きかけるという普遍性に満ち溢れる仕事です。ですので、一般的にいうエビデンスを超越したところにある仕事なのではないかと思います。例えば、ラーメン屋さんに行って、幾つかのメニューの中からは選ぶとします。私は味噌ラーメンが好きですから、迷わず味噌ラーメンを注文します。もし、味噌ラーメンを選んだその根拠(エビデンス)を問われても、その答えは「好きだから」「食べたかったから」となるでしょう。人間が生きてゆく過程のひとつひとつに、エビデンスを持って説明や証明出来ないところに、私たちの仕事があります。つまり、生きてきた、生きている、生きてゆくそのものがエビデンスだとしたら、私たちの介護という仕事は、その一人ひとりの生き様ひとつひとつの「考え方」に目を向けることが大切になってくると思うのです。その「考え方」を評価してもらえるように、こんな「考え方」で関わることで、今までできなかったことが出来るようになったという姿や、若しくは出来なくなってしまったという姿を、生活の中にたくさん見出だして生かしてゆくことに他ならないと思うのです。本来、私たち介護の仕事は機能の改善ではなく、生活する気持ちの改善に目を向け、そのための支援を考え続けることだと思います。

10:50 | 記事 nao [コメント:0]

『施設長のひとり言』

2018年02月14日 | 未分類

ファイル 1141-1.jpeg

色んな事を知れば知るほど

色んな物を持てば持つほど

色んな事を学べば学ぶほど

なんだか僕の感覚が

だんだんと軽くなっていくような気がする

知識には際限がない

そもそも最近専門性やエビデンスそのものを疑い始めている

僕らの仕事はそこを超越したところにあると思う

人が何を想い何を感じ何をするのかに神聖さを感じる

人が人と人として向き合う時

そこに確かな価値がある

有難う

なお

09:15 | 記事 nao [コメント:0]

『社長の少しの覚醒』

2018年02月10日 | 未分類

ファイル 1140-1.jpeg

最近感じることだが

人間知っていることよりも知らないことに方が断然に多い

知らなかったことを知るたびに知らなかったことの多さと知っているつもりの自惚れを感じる

無知でちっぽけな自分の小ささを感じるのと同じに知らないことを知る可能性と不安も感じる

もっと違う視点で捉えると

知らないことを知っている人が必ずいるということ

と言うことは

自分が知らないことを知っている人との繋がりと紡ぎの営みでこの世界は成り立っていると考えると鳥肌が立つ

人間自分の生きている時代で自分の成すことで生きている

生きることで自分の成すことを自覚していることは幸いだ

その成すことも枯渇してくるとまた何かを成そうとする

0を1にする生き方

そして自分をどう終わらせるかを考え人生を降りて行こうとする時

そうした一連の生きるということと向き合うことも人間の宿命だろうと感じる

10:50 | 記事 nao [コメント:0]

『がんばらばいをがんばらない』

2018年02月09日 | 未分類

ファイル 1139-1.jpeg

がんばっている人が

がんばらないようにと

がんばっている姿をみると

がんばらないをがんばってる人に

がんばらないをがんばらないでと思う

逆に

がんばらないをがんばるのなら

素直にがんばった方がいいのではと思う

12:32 | 記事 nao [コメント:0]

『つぶやき』

2018年01月29日 | 未分類

ファイル 1138-1.jpeg

やりたい✖️できる
大いにやったらいい

やりたい✖️できない
チャレンジしたらいい

やりたくない✖️できる
やめるか改めるかだな

やりたくない✖️できない
論外圏外以ての外やめた方がいい

いくら言い訳したって
いくら繕ったって
いくら誤魔化したって
いくら綺麗事並べたって

どれかだから

そろそろ自分と向き合えやって事だろうな

と自分を生きる

宮崎直人

08:02 | 記事 nao [コメント:0]

『つぶやき』

2018年01月26日 | 未分類

ファイル 1137-1.jpeg

『つぶやき』

困難に直面する度になんか強くなっているような気がする

同時に強さだけじゃなくて優しくなっているような気がする

困難な出来事は厄介で億劫でしんどいですが

どんな困難に直面しても

大丈夫なんです

困難ですから

そりぁ大変です

でも大丈夫ですから

もう少し待ってて

見ててご覧

大丈夫ですから

もう少し

その先の光を信じて

待ってみて

宮崎直人

12:05 | 記事 nao [コメント:0]

『アウルが建った時』

2018年01月26日 | 未分類

ファイル 1136-1.jpeg

アウルが建った時

本当に嬉しかったなぁ〜

もちろん不安もたっぷりとあったけれども

その不安よりも

喜びの方が大きかったなぁ

ほんとに嬉しかったなぁ〜

宮崎直人

08:09 | 記事 nao [コメント:0]

『1957年の流行語』

2018年01月24日 | 未分類

ファイル 1135-1.jpeg

会議の時間まで少しあるので

札幌の歩行空間を散歩することにしました

30分ほど歩いたので少し休もうと思い共用休憩スペースで腰を下ろして休みました

横の壁に広告がありふと目をやると1957年当時の流行語が紹介されていました

僕が生まれる5年前の流行語です

「デラックス」「カックン」「ケ・セラ・セラ」

思わず笑みがこぼれました

有難うございます

宮崎直人

21:20 | 記事 nao [コメント:0]